主査の機嫌を損ねると全員が徹夜
当時の専売公社は朝8時45分出勤だったから、あまり遅くまで残業をすると、寝る時間がなくなってしまう。そこで、午前2時ごろになると、筆頭の課長代理が大蔵省の主査のところにホットラインで電話する。
当時は、電話機のハンドルを回すと相手の電話機が鳴る直通電話が、大蔵省との間に設置されていた。
電話機のハンドルを回す瞬間は、主計課員全員が緊張の面持ちで耳をそばだてる。もし、少しでも主査の機嫌を損ねて、「帰ってはいけない」と言われると、全員が徹夜になってしまうからだ。
「お~い、もりなが~」で駆け付けないと怒鳴りつけられる
また、予算編成が佳境になる時期の私の仕事は、大蔵省主計局大蔵二係の前の廊下で、ずっと座っていることだった。
大蔵二係の所管は、専売公社、大蔵省印刷局、大蔵省造幣局の3者だった。だから、私は印刷局と造幣局の若手職員と並んで、ずっと廊下に置かれた椅子に座っていたのだ。
部屋のなかでは、主計局の主査が予算の査定作業をしている。
そして何かわからないことが出てくると、部屋のなかから「お~い、もりなが~」と叫ぶのだ。
名前を呼ばれて、数秒以内に主査の机の前に駆け付けないと、怒鳴りつけられる。
だから、常に立ち上がって、走れる態勢で、声がかかるのを待ち続けるのだ。
当時、私は専売公社の20億円程度の試験研究費をメインで、そして400億円程度の販売費をサブで担当していた。
予算編成というのは、茶番の繰り返しだった。試験研究というのは、未知の領域に挑戦する作業なので、具体的に翌年どんな実験をするかなんて決まっていない。