「グローバル・サウス」が曇らせる日本外交の戦略的視点
ケニアやウクライナで得た「成果」を無視する形で、FOIPは何よりもASEANおよびPIFとの連携の話だ、という定義づけが前面に打ち出された理由はよくわからない。日本の外務省の担当部局の仕切りだったのかもしれないし、ウクライナと微妙に距離を取るブラジルの意向に配慮したのかもしれない。
しかし、「ウクライナやアフリカも取り込んだFOIP」という世界観を、G7広島サミットという機会に日本が披露することに、なにか不具合があったとでも言うのだろうか。ブラジルだけがそこから孤立してしまう、ということなら、そもそもいったい何のためにブラジルを招待したのか。
G7広島サミットだけで見れば、こうした話はただの微妙なすれ違い程度に見えるかもしれない。しかし、国際社会や日本外交の一連の大きな動きの中で考えてみれば、これは日本という国家における、戦略的見取り図の一貫性の問題ともいえる。「グローバル・サウス」といった十把ひとからげの言い方は、個々の相手国に対するアピール力を欠くだけでなく、日本側の精緻な戦略的視点を曇らせる効果しか持たないのが実情ではないか。
自画自賛的な夢に浸る余裕はもはやない
日本は1人当たりGDPで、今やG7の7カ国の中では最下位である。ほんの20年前にはトップであったのだから、日本の地盤沈下の激しさは相当なものである。日本には必死の生き残り策が必要になっており、G7という貴重な外交的財産も、その生き残り策のなかで位置づけられなければならない。
傲慢なアメリカ人をたしなめつつ、先進国と途上国との間の懸け橋になり、世界全体から尊敬される国になる――。そんな類いの夢物語に浸っている余裕は、現実の日本にはない。日本に求められているのは、G7の連携も最大限に活用した、戦略的な切り込みの鋭さである。結局はそれこそが、「法の支配に基づく国際秩序の堅持」にもつながっていくはずだ。
日本が今後その方向で、今回のG7広島サミットの成果を発展的に活用していくことを願ってやまない。