ロシア、というよりプーチン大統領との関係を異常なまでに大切にした安倍晋三元首相は、ロシアに籠絡されているのではないかという噂が冗談交じりにささやかれていたことがあった。我が国の外務省よりもロシア大使館の言うことを重視しているようにすら思えたからである。

なぜそのような印象を与えたのだろうか。

それはひとえに、駐日ロシア大使が官邸の要路に太いパイプを築いたからである。

ご存じのように安倍元首相は側近を大切にしていた。ロシア側はそのことを把握したうえでどのようにかして接近したのであろう。大使が駐在国の政府にパイプを持つのは不思議ではないが、安倍官邸の周りには正体のよくわからないロシア人ビジネスマンもうろうろしていた。

官邸主導は大変結構だが、保守的な外務官僚の眼から見ればロシア相手に危なっかしく見えたのも事実だ。

ロシアの手法は「北方領土問題」に詰まっている

ロシアはこうして相手のことを知ったうえで、いろいろな角度から攻撃してくる。

しかし、最も重要なのは相手よりも優位に立つことだ。交渉の術はいろいろとあるが、どんな術もより有利な立場に立つこと以上に有効ではあり得ない。具体的には、欲しいものを物理的に押さえておくことだ。先に押さえてしまってから交渉する。単純なことだが、これが交渉で勝つための最も確実な方法である。

そもそもなぜ交渉が必要なのかと言えば、強制的な執行ができないからである。法があり、裁判権があり、強制執行力があれば、交渉は必要ない。必要なのは決定か判決である。あとは強制するだけだ。しかし、国際政治の世界では法の支配が確立されていない。何かしたければ交渉するしかない。だが交渉はたいがい行き詰まる。

だから始めから押さえてしまえ、というわけだ。後で返すと嘘の約束をして先にお金を押さえる(モスクワで私が最初に借りた部屋の大家)、国内法を根拠に外国企業の活動を停止させる、武力で押さえる(北方領土)。

北方領土の位置・マップ、内閣府ウェブページより
北方領土の位置・マップ、内閣府ウェブページより

こういう状況をつくれば、相手がこちらにお願いしてくる立場に置かれる。お金を返してくれ、島を返してくれ、魚を獲らせてくれ。あとは相手の要求に対してあれこれと条件を付ければよいのだ。

なぜ外交は必要なのか

しかし、元外交官としてひとこと言わせてもらえるならば、初めから優位に立って行う交渉ではなく、要求者の立場に立って何かを勝ち取ることの方が、外交の醍醐味を味わえるというものだ。

例えば、日本政府が支援するある団体(ロシア法人)に対してロシアの税務当局が税の追加徴収を通告してくるとしよう。日本政府が全面的に支援している団体とはいえ、ロシア法人である以上はロシア国内法の管轄下にある。日本側は圧倒的に不利であり、この決定をひっくり返すのは不可能に近い。法的手続きは当然ながらロシア側に有利に進んでいくからである。