どれだけ声をかけても起きない深夜の泥酔客

東神バスでは、夜11時以降に始発バス停を出発する路線バスを「深夜バス」と呼ぶ。深夜バスは、車両も運行ルートも通常と同じだが、料金が2倍になる。深夜バスを利用する人のほとんどは遅くまで仕事をしていた人か、飲酒をして帰宅が遅くなった人だ。深夜バスで一番厄介なのが、熟睡した酔っ払い(*7)である。

バスの座席
写真=iStock.com/KEN226
※写真はイメージです

その日、深夜0時15分、終点のバス停に到着して、乗客全員の降車を済ませたと思ったら、車内ミラーに大口を開けて眠っている太ったサラリーマンの姿が見えた。私は車内の忘れ物チェックをしながら後方に向かい、「お客さま、終点ですよ」と声をかけた。しかし、起きない。もう一度大きな声で、「お客さま! 終点です! 起きてください!」と言う。けれど、起きない。飲み会の帰りなのか、酒臭い息が漂ってくる。

こういったとき、運転士はお客の体に触れることができない。女性の場合、セクハラと勘違いされる場合があり、男性の場合も財布泥棒などと勘違いされてトラブルになる危険性があるからだ。そこで私は少々乱暴ではあるが、男性が座る座席を蹴っ飛ばした。経験上、こうするとだいたい起きるのだが、それでも男性は起きない。なかなかの強敵だ。

私は運転席に戻り、冷房を最強にし、冷風の吹き出し口を男性の顔面に向けた。その上で、座席を揺すったり、蹴っ飛ばしたり、「起きてください!」と叫ぶ。

(*7)酔っ払い:酔っ払いで怖いのは嘔吐。バス車内で嘔吐があった場合、バス運転士は「嘔吐物処理キット」を使用して、速やかに嘔吐物を処理しなければならない。嘔吐物処理キットには、マスクや手袋、靴カバー、ビニールエプロン、嘔吐物凝固剤や消毒剤などが同封されており、応急処置ができる。路線バスでの嘔吐物処理は滅多にないが、夜行バスや観光バスでは珍しいことではない。私も深夜バスの乗務では年に1~2回の頻度でゲロ対応に当たっていた。

対応が難しい「泥酔した女性客」

数分すると男性はブヒッと鼻を鳴らして目を覚まし、あたりを見回しながら「うー、寒い」と言い降車していった。冷房全開は目覚ましには効果的(*8)なのである。さらに強者もいた。

8月の金曜日、うだるような暑さの夜だった。メイクが濃く派手な服装をした若い女性は、終点に着いても熟睡したままだった。全英オープンを制した人気女子プロゴルファーに似ている。女性を起こそうと近くまで行くと、私は1メートルほど手前で足が止まってしまう。なんと、服がはだけて胸元から下着がのぞいており、ミニスカートもまくれ上がって下着が丸見え(*9)のうえ、口からよだれを垂らしている。この状態で彼女を起こしたら、私はあらぬ疑いをかけられてしまうのではないか。

不安を覚えた私は、営業所に無線(*10)を入れた。「ただいま終点に到着しましたが、若い女性のお客さまが泥酔していて、目覚めません。服がはだけてしまっているもので、どう対応したらいいでしょうか?」

営業所にいた泊まり当番の助役からは、「わかりました。今すぐ人を向かわせるから、お客さまに触れず、そのまま待っていてください」という指示があった。私は指示どおり、その場で待つことにする。女性のほうは見ない。

(*8)目覚ましには効果的:窓ガラスを爪で引っかきギリギリ音を出したり、耳元で手を叩いたりする運転士もいたが、クレームにつながるのでやりすぎは禁物。
(*9)下着が丸見え:休憩室の雑談の中で「今日、一番後ろの座席の女の子、パンツが丸見えだったぞ」などという下世話な話をしている運転士もいる。じつは最後列中央の座席は、運転席の車内ミラーから“丸見え”になることがある。くれぐれもご注意ください。
(*10)新人のころ、研修で、運行中わからないことがあったり、判断に迷ったりしたときは営業所に無線を入れるように指導された。何年バス運転士として勤めようが、女性の取り扱い方という点では、男という生物は永遠に初々しい新人なのだ。