不正を指摘しても反省しない20代の男性

「はあ」と男は言った。動揺しているふうでもない。

「これ、ダメですよね」

私は定期券に書き加えられた「1」の部分を指差す。

「ええ」
「いや、ええじゃなくて。こんなことをしたらダメじゃないですか」
「そうですね」

男は偽造がバレたことにショックを受けた様子もなく、淡々と応答を重ねるばかりだった。

「ここに住所と連絡先を記載してください。後日、営業所から連絡しますので」
「はあ」

男は、渡した紙に素直に個人情報を記載した。その内容も嘘である可能性は否めないが、定期券の利用者なので個人情報は会社に控えてあるだろう。何を考えているのかわからない男は、逆ギレするでも落胆するでもなく、見つかったときと変わらぬ表情でその場から去っていった。

後日、彼には期限が切れた日(2月16日)から、不正が発覚した今日(5月20日)までの乗車料金が、営業所から督促状(*5)によって請求されることになる。彼の乗車区間の料金は1乗車210円なので、往復で1日420円。約3カ月で計算すると、3万7800円だ。定期を購入していればその3分の2程度で済んだだろうに……。

このように交通系ICカードや現金以外での支払いでは、運転士による人為的チェックをかいくぐって不正乗車を画策する人がいる。われわれはそうはさせじと厳しくチェックする。運転士と不正乗車客との終わりなき闘いは続く。

(*5)営業所から督促状:料金回収を担当していたのは助役や事務職員で、回収専門の担当者はいなかった。悪質と判断したケースでは、乗客の自宅に行って取り立てていた。また支払いを拒んだりした場合は、それ以降、定期券を売らないといった対策をとっていた。

不正乗車客を見抜く“運転士の直感”

とはいえ、意図的ではなく、本当にうっかりしている人(*6)も少なからずいる。

レンタルビデオの会員証を真面目な顔で見せてくるお客には「レンタルは何泊になさいますか? って違うでしょ」と“ノリツッコミ”したくなったこともあった(私はユーモアのある人間ではないので、実際には思うだけである)。長年運転士をしていると、本当にうっかりしている人と、意図的にしている人の見極めがついてくる。

バスのハンドルを握るドライバー
写真=iStock.com/Igor Vershinsky
※写真はイメージです

よくテレビの警察密着番組で、「職務質問のプロ」という警察官が違法薬物所持者を見破ったりしている。あれと同じで、意図的に不正をしようとしている人は、どこかしら挙動が怪しい。バスドライバーの直感が働くのだ。たいていの場合、直感の正しさが証明される。どうやら、バスドライバーをしているうち、へんな特殊能力が身についてしまったようだ。

(*6)うっかりしている人:私はこういう人に対しては、その場での注意と、当日分の料金徴収にとどめていた。もちろん偽造などの悪質性が認められる場合は即座に会社に報告。