直接命を救う、苦痛を取り除くことはできない

また、病理医の仕事は他の科からの依頼で行われるので、自分の意思で「仕事」を増やすことができません。

昨今、成果主義の導入などで病院の「売り上げ」が厳しく問われる中、自分の意志で売り上げに貢献できない病理医の院内における立場は、ややもすると弱くなりがち。その点も他の科の医師と違うところです。

顕微鏡を使う人の手元
写真=iStock.com/Kkolosov
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そして、なにより大きな違いとして、病理医は解剖を行う医師であることです。人の命を救うこと、苦痛を取り除くことに特化しているはずの病院という存在の中で、直接は命を救うことも苦痛を取り除くこともできない病理解剖。未来を見ている病院で、唯一過去を見続ける空間といえます。

実際、医学部のある同期から「俺たちは生きた患者さんを扱ってるんだ! オマエら病理医とは違うんだ!」と力説されたことがあります。

しかし、病理医だって亡くなった患者さんのことばかり考えているわけではなく、仕事の大半は存命の患者さんの標本を診断しているわけです。「そんなこと言われましても」と思うしかありません。

「解剖いらなくね?」と言われることも…

とはいえ、「亡くなった患者さん」を診る仕事が多いのが病理医の大きな特徴であることは事実。しかもそれは、診療報酬という意味ではなんらプラスになりません。

病院の売り上げにも貢献しないわけですから、医療現場にうとい経営コンサルタントなどからしたら「解剖いらなくね?」となるわけです。

しかし、さすがにそれはひどい話だろうと、日本病理学会はなんとか診療報酬上に解剖を位置づけようと要望を出し続けていますが、なかなか実現しないというのが実状です。

いずれにせよ、「過去を振り返ることに特化した仕事をする」という点は、病理医と他の科の医師との決定的な違いといえるでしょう。そして、その違いは私たち病理医の考え方に影響を及ぼし、そこに特異性を生んでいると思っています。

では「特異な病理医の考え方」とは何なのか。あくまで私個人の考え方ではありますが、ここで思うままに綴ってみたいと思います。