「ジャーナリズム」にボツにされた原稿の中身

その意味でいちばん残念だったのは、朝日新聞出版発行の月刊誌『Journalism』2014年3月号に掲載される予定で執筆依頼を受けた原稿が没になってしまったことだった。「体育からスポーツへの大転換の時代――スポーツ・ジャーナリズムに求められることは?」と題したその原稿は、担当編集者と打ち合わせのうえで「高校野球甲子園大会の批判」を書くことになっていた。

「上司とも打ち合わせ済み」で「われわれ自身が高校野球のあり方を考えないといけませんから」という担当編集者の姿勢に応じて、私は喜んで原稿を書いた。

1度目の東京オリンピックではスポーツが体育として教育的にしかとらえられなかったが、2度目は純粋にスポーツとしてとらえられ開催されるはずだから、日本のあらゆるスポーツからスポーツ以外の目的は排除されるべきだと書き、メディアが利用している高校野球やプロ野球や箱根駅伝の弊害を書き並べ、メディアはスポーツ大会の主催者やスポーツ・チームの所有者(オーナー)になるべきでなく、スポーツ・ジャーナリズムに徹するべきだと結論づけた。

しかし原稿を送って数日後、編集者に「原稿は掲載できない」と言われた。「理由は?」と瞬くと編集長が言うには「いま書いてもらうならソチ冬季五輪のことだ」と。

ならば「この原稿は夏の甲子園大会のときに……」と言うと、編集者は「勘弁してください」と頭を下げた。

結局、私の原稿は没になってしまい、『Journalism』という雑誌の名前が泣く……とは思ったものの、私はそれほどショックでもなかった。というのは、以前から同様の「事件」(プロ野球や高校野球の批判記事を没にされたり、テレビでの批判を止められたこと)は、何度も繰り返し体験してきたからだ。

「NHK会長になってもやめられない」

最近では、高校野球に関して次のような出来事もあった。あるNHK関係者に次のような質問をした。

「NHKが甲子園大会の全試合を全国放送しているのは、高校野球をプロ野球のように扱って人気を煽ることにつながり、高校生の大会として相応しくないから、中継放送をやめるべきではないか……?」

NHK某氏の回答は次のようなものだった。

「甲子園大会の中継は、私がNHK会長になってもやめることはできないでしょうね。紅白歌合戦と同じで、伝統的な人気イベントですから。それに中継することによって、すべての大会の試合が録画として手元に残ることも大きいですから……」

彼が「NHK会長になってもやめられない」と言ったのは、現在の高校野球や甲子園大会にさまざまな問題のあることは承知のうえで、それでも「やめられない」ということなのだろう。

要は大人気イベントだからということで、それが十代の高校生にとって適切なイベントか否かは、テレビ局としては問題外というわけだ。