話の途中に「だから」と言っていないか

また、著者の黒川氏はこのほかにも、「男性脳」と「女性脳」の違いをわかりやすく展開したうえで、夫婦間の会話の進め方についても「なるほど」と感じる提案をされています。とくに、妻が悩みや不満を打ち明けたとき、夫がどう対応すべきかを紹介しています。

・妻の話を最後まで聞く
・妻の言い分に対して、否定から入らない
・論理的な展開を避ける
・妻は解決策の提示など望んでいない

夫は得てして、妻の話を最後まで聞かずに、話の腰を折って「だから!」と前置きし、妻の主張を否定しながら、論理で解決策の展開を試みます。それは「男性脳」の特徴のひとつなのだそうです。

議論する男の手
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです

しかし、妻が夫に求めているのは「聞いてもらう」と「共感してもらう」であって、論理や解決策の提示などまったく求めていないというわけです。

夫婦間のコミュニケーションの際、「男性脳」と「女性脳」の違いを忘れずにいれば、ギクシャク感、不快感が生じる回数が激減するのではないか。私はそう思います。

かなり前にテレビで観た上方の老夫婦漫才師のネタを記憶しています。

ある日、朝ご飯を食べていると、妻が突然、夫の頭を叩きます。「30年前のあんたの浮気を思い出して腹が立った」のが理由です。次に夫の言葉でオチがきます。

「それ以来、私、朝ご飯のときはヘルメットかぶっています」

男性と女性、その諍いの原因は、どちらが正しいかではないのです。ただ「違う」といことなのです。「そんなことがあったんだ」「大変だったね」と静聴と共感の対応法を男性が忘れなければ、男女の人間関係にヘルメットは不要です。

夫婦間の新しい「愛情のカタチ」

「別住」というライフスタイルは、決して夫婦間の愛情が消滅することを意味するわけではありません。

一緒に暮らすことの快適さよりも、距離を置いて暮らすことの快適さを選ぶ、と考えればいいだけの話です。長い時間、一緒に暮らした結果、お互いの間に不快な距離感、ギクシャク感が生じる。「顔を見るのもイヤだ」ほどではないにしても、些細なことで不快感や怒りを覚えるようになってしまえば、一緒に暮らしていても愉しいはずがありません。

たとえが的確かどうかはわかりませんが、料理を美味しく仕上げるには「灰汁とり」が大切です。「ちょっと離れて暮らしてみよう」という選択は、長年一緒に暮らしたことで浮かんできた夫婦生活の「灰汁」を取る作業と考えてみてはどうでしょうか。

「別住」が愛情の形の変化であることを物語るエピソードがあります。子どもの自立を契機に、「別住」をはじめたある知人夫婦の話です。紹介します。

もともと、妻である女性が私の知り合いでした。その後、その夫とも面識を持つようになりました。いわゆる共働き夫婦で、それぞれかなりの収入がありました。夫の定年退職、子どもの自立を機に、それまで夫婦で住んでいた家を彼女が出ました。そして、クルマで15分ほどの場所のマンションに移り住みました。

「別住」を切り出したのは妻です。

夫は大手マスコミ系会社で働き、役員にもなりました。定年退職後、子会社の非常勤顧問。妻は現役のグラフィックデザイナーです。

熱烈な恋愛の末、結婚に至ったのですが、ゆっくりと彼女の心の中に疑問、不満が芽生えはじめ、そして結婚36年にして決断したのです。

その理由はふたつありました。

ひとつは、結婚以来、夫が家事、育児、子どもの教育をすべて自分任せにしてきたこと。それを当然のように思っているのか、感謝の言葉はほとんどありませんでした。

そして、もうひとつは夫が「乳離れ」していないことでした。折に触れ「うちのお袋」というタイプ。

夫に対して憎しみが芽生えたわけではありません。彼女はこう表現しました。

「あるのは愛情というよりは、長い間、慣れ親しんできたという感慨。ひと言でいえば、愛着、そう愛着は多少……」

そんな彼女のリクエストに応じた夫ですが、未練なのか、週に2、3回、なにかにかこつけて電話をかけてきます。また月に1回は食事をしながらお互いの近況報告をするような関係です。