マッキンゼーの「神様」からNGが

『企業参謀』の出版に際して、マッキンゼー本社から横やりが入った。

「我が社で本を出したのはマービン・バウワーしかいない。入ったばかりのお前が何でマッキンゼーのことを書けるんだ?」

マービン・バウワーはマッキンゼーを現在の近代的なプロフェッショナル・ファームに変えた伝説的な経営者で"マッキンゼーを作った男"と形容される。私が入社した頃には70歳前後ですでに現役を退いていたが、事務所には毎日出てきていた。マッキンゼーの人間なら誰もが知っている神様のような存在である。

そんな人物と引き比べられても困る。別にマッキンゼーのことを書いたわけではない。全くの素人として入社しマッキンゼーで習って、自分で理解したことを書いただけ、と説明した。それでも「内容を翻訳して、本社の承認を得るのが筋」というのが本社の言い分だった。

「そんな暇があったら次の本を書く」と無視している間に『企業参謀』は出版された。おかげで倒産一歩手前だった東京事務所に仕事が続々と舞い込むようになったので、本社も私に面と向かって強くは言えなくなった。

しかし、『企業参謀』がどうして売れているのか、なぜそれでお客さんが依頼してくるのか、本社としては理由が知りたい。そこで勝手に翻訳チームを作って、ロンドン事務所 にいたローランド・マンをチーフ・エディターに据えた。直訳を彼が一所懸命にイギリス流の文体に直して「これでいいか?」とよく私のところに問い合わせてきた。

翻訳作業を進めていくうちに、「これは本だ」とマンが言い始めた。日本で本として売られているのだから当たり前だが、「これはアメリカでも売れる」という話になり、マンが大手出版社のマグロウ・ヒルと話をつけて、1982年に出版された。出版する以上は私にも責任があるので結局はかなりの時間を費やすことになった。マグロウ・ヒルズ社とのやりとりもその後の英語での出版の際に多いに役立った。脱稿してから一年近く周到な根回しをする。日本では1カ月で店頭に並ぶ。この点では日本に軍配が上がるが、アメリカの用意周到さには理由があることも分った。

当初は『Strategist』というタイトルになる予定だったが、「strategistの奥底にはmindがなければならない」という私の主張を取り入れて『The Mind of The Strategist』に決まった。

ところが問題が生じた。あろうことか身内のマービン・バウワーが「出版は見合わせたほうがいい」と騒ぎ出したのだ。

アメリカの出版社は本を出版する前に専門家や著名人に原稿を見てもらって、評価やレビューを得てから刷り部数を決める(これが時間がかかる第一の理由である)。マグロウ・ヒルも『The Mind of The Strategist』をあちこちに配ったのだが、その1人に経営学者のピーター・ドラッカーがいた。

バウワーが言うには、ドラッカーは原稿を読んで怒っているという。バウワーとドラッカーは大の親友同士だった。

次回は「『企業参謀』誕生秘話(4)——ドラッカーが怒った」。8月27日更新予定です。

(小川 剛=インタビュー・構成)