IQ145の夫に苦しめられた妻
――書籍のなかで、国内航路の船長を務めたエリート男性について書かれています。どのような患者さんだったのでしょうか?
【加藤】ASDと診断された、IQ145のBさんの話ですね。Bさんは妻と娘と息子の4人家族で、家族はBさんによって長い間苦しめられてきました。
たとえば、Bさんの娘は、子どもの頃、父の日のプレゼントとして贈ったハンカチを「なんだ! このボロ雑巾みたいな布は!」と投げつけられました。ほかにも、妻が肉親を亡くして悲しんでいる横で、Bさんは好きなテレビ番組を見ながら大声で笑っていたといいます。
Bさんはわざとそう振る舞ったのではなく、人の気持ちを察することができないんですね。あまりにそうしたことが続くので、妻と娘がBさんを連れて私の診療科で受診し、ASDと診断しました。Bさんは「私の本当のIQは145どころじゃない。155以上あるはずだ」と息巻いていましたね。診断の際に用いるIQテストの理論上の最高値は155なので、よく覚えています。
そこまでは良かったのですが、家族の申請によって取得された「精神障害者保健福祉手帳」が自宅に送付されてきたときに、Bさんは「俺を障害者扱いするとは何事だ!」と激怒したそうです。
――なぜBさんは、怒ってしまったのでしょうか。
【加藤】「手帳」は「障害者」が取得するものであることはわざわざ説明するまでもないと思っていたのですが、ASDと「障害」がBさんの中で結びついていなかったようです。さらに、Bさん自身は困りごとを抱えている意識はありませんでしたから、いきなり「障害者」の判を押されたような気持ちになったのではないかと思います。
Bさんはそれ以来、自分を「障害者」扱いした私の診察は一度も受けに来ていません。本人に代わって、Bさんの妻が3カ月に一度、経過を報告するために、私のもとに通い続けています。
障害の特性にあった倉庫の夜間警備員に就職
――診断を受けたあと、Bさんはどのような生活を送っているのでしょうか?
【加藤】Bさんの妻によると、その後、国内航路の船長の仕事を定年退職し、いまは倉庫の警備員をしています。夜間の倉庫の見回りの仕事は、実はASDの人に非常に向いている職業です。見回りは時間やルートが決められているルーティンの繰り返しなので、変化を好まないASDの人が安心して取り組める仕事なのです。こうして、定年後も、Bさんは自分のやりたい仕事を見つけて、充実した人生を送っているそうです。
妻は、「いまの夫婦関係の状態は以前と比べて良くなった」と話しています。Bさんは国内航路の船長を辞めたあと、仕事の責任感や緊張から解放されたのか、家にいるときの表情も少し柔らかくなり、前ほど怒らなくなったそうです。