現在のメディアの追及は生ぬるい

高市氏の発言はメディアでも取り上げられたが、通り一遍の報道に終始した。自分の発言に凝り固まる高市氏を岸田文雄首相もかばい、議員辞職はおろか閣僚辞任も実現しそうにない、つまりは政局になりそうもないとの見立てができれば、途端に自らも追及の手を緩めておざなりな報道でお茶を濁した上で「高市氏を追い込めない野党だらしない」論に走って責任をなすりつけるのが、現在のメディアの定番だ。

複数の記者からインタビューを受ける人
写真=iStock.com/AleksandarGeorgiev
※写真はイメージです

高市氏も小西氏も、本当に問題にすべき発言は「サル」だの「捏造」だのとは別にあった。しかし、メディアはどちらも単純に「面白おかしい」発言に飛びついた結果、批判のポイントをそらしてしまった。何より、こうした「面白おかしい発言」にかまけているうちに、本題である「メディアの報道における政治的公平性」を、事実上脇役にしてしまった。

そもそもこの問題は、今に始まったことではない。高市氏の「停波発言」は2016年、実に7年も前のこと。小西氏が入手した総務省の内部文書は「政治的公平性」に関する解釈変更の経緯を明らかにしたものであり、解釈変更自体はずっと前から問題化していたのだ。

メディア、特に放送局は、自分たちに深く関わるこの問題を自ら追及する力を十分に持たず、いつの間にか忘れさせてしまった。やがて、政権に対峙していた多くのキャスターやコメンテーターが、次々と番組を去っていった。「解釈変更とは直接関係ない」という声も出そうだが、少なくとも国民の多くがその関連性を疑っている。これらは筆者も新聞社に所属していた時の話であり、当時の自分自身の非力についても反省せざるを得ない。

小西氏が今回明らかにした内部文書は、すっかり忘れられていたこの問題に再び焦点を当て、解釈変更は事実上「撤回」された。メディアは小西氏に救われたようなものだ。

もちろん、だからといって小西発言をお目こぼししていい、ということにはならない。どういう相手であれ、批判すべきことは批判するのがメディアの役割だ。だが、批判のピントがずれていたり、与野党で批判の強さがダブルスタンダードになっていたり、さらには批判自体に腰砕けになっていては、何のために「政治的公平性」の解釈が元に戻ったのか、と言われても仕方ないだろう。

今回の問題で本当に問われるべきは、高市氏でも小西氏でもない。筆者自身を含むメディア全体なのである。

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