誰が笛を吹き、誰が踊らされているのかを見極める

例えば欧州はSDGsを理由に、安い原料で作られた域外の製品の輸入を拒み、域内産業を保護できる。また米中の経済成長主義に対する文明的アンチテーゼとして、ヨーロッパ的な良心や人間中心主義を打ち出しているようにも見える。

もっと言うならば、もしも世界が経済成長至上主義をやめたら、欧州は再び世界の中心に返り咲けるかもしれない。SDGsについてはグッドウィルもバッドウィルもひとつのパッケージとなって「ハーメルンの笛吹き」的な渦が生まれている。

これらの例のように、ブームやヒットから距離を置いた姿勢で向き合ってみよう。何事も批判的な視点で裏から、側面から見てみよう。誰が笛を吹き、誰が踊らされているのか見極める。その上で自分がそれに乗るかそるかを考えよう。洞察を経た上ならば乗ってみるのも構わないし、間違えたとしても傷は浅くてすむ。

切れ味のいい洞察のヒントは「古典」にある

ところで、古典書というのは実は昔の人が書いた俗説批判である。例えば、マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』、ダーウィンの『種の起源』、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』などはその時々の時代批評だ。切れ味のいい洞察のヒントは古典に求めるとよい。

ダーウィンの著書『種の起源』
写真=iStock.com/duncan1890
※写真はイメージです

古典とは、単に古い書物ではない。それが長年にわたって生き残ってきた過程を考えてみよう。古典は人々に社会を捉える新たな視点を提示した当時の先端の書である。そして実際にそれが世の中を変えた。その実績にちなんで読み継がれてきた。

だから、古典はその未来洞察が現実となった後の世においても、新しい洞察を生み出すヒントとなる。だから現代の必読書として残る。過去に構築された仮説やフレームワークが歴史の中で使われ、淘汰とうたされ、現代も残っているのが古典なのだ。