牛肉消費を植物タンパクに変えても地球は救えない

実際に調べてみると、牛は価格が高すぎて人口爆発する途上国や中進国ではそもそもあまり食べられていない。増えているのは牧場ではなく養鶏場である。ニワトリの消費が世界中で伸び、牛肉の消費は伸びていない。

だから、牛肉消費をやめることによるメタンの削減効果は先進国分に限られる。そして先進国ではもともと人口の高齢化で牛の消費は伸びない。ならば「牛肉消費を植物タンパクに変えてメタンを減らす」という努力で地球が救えるという話は俗説にすぎないとわかる。

パッケージされた植物肉
写真=iStock.com/Grandbrothers
※写真はイメージです

植物肉の例だけでなく、ハイテクが切り開く明るい未来……という話はおしなべて疑ってかかるべき俗説の典型だ。歴史をひもとくと、確かに技術や経済が歴史を変えてきた。しかし一方で、技術は武器を増やし、死者を増やしてきた。医学の進歩や生産性の拡大の効用は言うまでもないが、進化ばかりと言い切れない。技術万能主義はありえない。

実は歴史は結構、文化が形作ってきた。例えばベネチアも中世の中国も文化力で地域をまとめていった。外交と文化は密接である。日本でも、天皇が勅撰和歌集というツールを通じて文化的に宮廷貴族たちと地方を統治してきた文治の歴史がある。そういう意味ではプーチンの大ロシア主義も、経済や国内政治の動向だけでなく、歴史と文化も源にあると見るべきだろう。

「SDGs」を主導するヨーロッパの本音

洞察は疑うことから始まる。メディアや会話でよく現れる俗説はまず疑おう。現在であれば「デジタル」「SDGs」「ダイバーシティ」は怪しい。わかりやすくて流布するキーワードは、誰かが頑張って流し、その結果ヒットしている。誰が笛を吹いているのか、どういう集団が、どういう動機でヒットさせているかよく考える。

例えば「SDGs」。もはや否定できない時代の根本理念になりつつあるが、そうであるがゆえに、俗説と捉え、批判的にながめ直してみよう。SDGsの背景にはもちろん地球温暖化への対応という正統性がある。

しかし、それを主導するヨーロッパの本音も探ってみたい。EU諸国は、少子高齢化が進行し経済成長力も落ちている。米中のようなイノベーションもGAFAのようなプラットフォーマーも創出していない。そうした背景のもと、ヨーロッパは「SDGs」というキーワードを発信しているのではないか。

つまり彼らは真に地球を憂えるだけでなく、米中に対し「持続可能性」という新しい価値概念を打ち出すことでヨーロッパの差別化、優位性を保とうとしているのではないか。SDGsは欧州の世界戦略という性格がある。