中国の発展は、ふつうの途上国と本質的に異なっている

つまり、中国は西洋社会が産業革命で豊かになるよりはるか昔に、いったん先進国となった。それが行き詰まり没落した姿が清朝末期の中国だった。そこで人々は公共心なく私利私欲の追求に走っていた。いわば文明が先端まで行きついた上で衰退した。19世紀の中国は、決して未開の地ではなかった。

これに懲りて、中国は20世紀後半に共産党の下で秩序回復を急いだ。中国はいったん自由な競争社会を経験した上で一党独裁をやっている。独裁政権しか知らない新興国とは本質的に違うのだ。

北京の天安門
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欧州諸国は宗教戦争後の17世紀に「国民国家」という概念を作った。そこで民主主義と国民主権の概念ができた。中国共産党は第2次大戦後にそれに匹敵する秩序形成を行ってきた。彼らがいう一党独裁体制というのは、西欧における国民国家や民主主義の基本理念、あるいは戦前のわが国の「国体」の概念にも相当すると見るべきだろう。だから一党独裁と民主主義との比較という論点自体が成立しないのだ。

ゆえに、欧米人が口にしがちな「中国を西欧型民主主義国家に育てたい」という考え方は、中国人から見ると異次元の発想、いわば動物を植物に変えようとするものである。一党独裁が好ましいかどうかはさておき、中国の歴史を洞察すると、民主主義が自然に育ってくるという発想には無理がある。いや洞察がなさすぎる。

これが筆者の考える歴史に照らした洞察の例である。学術的、理論的にどこまで正しいかはさておく。しかし米国人にはこうした歴史に基づく洞察はなく、単純に中国を途上国の西欧化、進化のモデルでしか捉えられず、未来を読み間違えた。

まずは俗説を支える前提条件を疑ってみる

洞察力を磨く方法の2つめは、俗説を疑うことだ。例えば「牛のげっぷから出るメタンガスが温暖化を招く。中進国の所得が上がって牛を食べるようになると危険だ。植物肉や昆虫を普及させて地球を救おう」という主張がある。

だが、急にまことしやかに流布されはじめる話には裏がある。まずは疑ってみる。誰かが利益を得るために作った誘導ストーリーかもしれない。例えば温室効果ガスが問題視されると潤うのは風力発電や太陽光発電の機材メーカー、あるいは植物肉や昆虫タンパクのベンチャー、さらに投資ファンドだろう。

具体的にはミルフィーユの皮をはがすように俗説を支える前提条件を疑ってみる。温暖化を招くのは本当にCO2よりもメタンなのか。そしてメタンの発生要因は本当に牛のげっぷなのか。所得が伸びる途上国では本当に牛の消費が伸びているのか、などチェックポイントはいくらでもある。