「あなたは公務と酒とどっちを取るんですか」
1975年12月、談志は三木武夫内閣の沖縄開発庁政務次官に就任、翌年1月に海洋博視察を兼ねて沖縄を訪問した。沖縄には趣味のスキューバダイビング仲間が大勢いた。彼らは歓迎会を開いてくれ、談志は酩酊したあげく、翌日の記者会見に二日酔いで出席する。
怒った記者たちは意地悪な質問に終始し、談志をイラつかせた。「あなたは公務と酒とどっちを取るんですか」という愚問に対し、「酒に決まってるだろ」と答えると、会場内が騒然としたらしい。
それで会見は打ち切り、翌日には全国紙が一斉に朝刊で糾弾する論調の記事を書いたことで、閣内が揉めた結果、辞任に追い込まれる。その裁断に不満な談志は自民党を離党し、元の無所属に戻った。
本当なら取材したいところだが、政治ネタなので演芸担当の出る幕ではない。しかたなく、出演している浅草演芸ホールに出かけた。
談志が高座に上がると、満員の客席から割れんばかりの拍手が起こった。
「やっと最下位で当選して、政務次官になったと思ったら、やられた!」
頭を抱えたらドカーンと受けた。続いて、かばいもせずに辞任させた植木光教沖縄開発庁長官を批判した。
芸に開眼したある瞬間
「あのバカ、ただじゃぁおかねえ。今度あいつの選挙区で、共産党から出て落としてやる」
さらに大きな爆笑だ。
「俺はイデオロギーより恨みを優先させる人間だからな」
客席をひっくり返すような笑いの渦であった。私も大笑いした。聞き書き『人生、成り行き』の中で、談志は「この時、芸に開眼した」と語っている。
ここで〈芸〉は、うまいまずい、面白い面白くない、などではなく、その演者の人間性、パーソナリティ、存在をいかに出すかなんだと気が付いた。少なくとも、それが現代における芸だと思ったんです。いや、現代と言わずとも、パーソナリティに作品は負けるんです。
77年は参議院議員の任期が終わる年だった。談志は政界に嫌気がさしたようで、選挙の2カ月前に不出馬を宣言した。芸に開眼したのだから、落語に専念するのは必然であったろう。