欧米から武器供与が続くウクライナは有利だが…
そのとき、世界の様相はガラリと変わってしまう。ウクライナのゼレンスキー大統領は、開戦からしばらくは国境線を2月24日の侵攻前の状態に戻すと述べていた。しかし、激戦地が東部から南部ヘルソン州などに移ると、7月ごろには南部のクリミア奪還を強く意識した発言に変わっている。
ロシアは西側諸国から経済制裁も受け、膠着状態が続けば、部品が手に入らなくなり、武器の生産や修理が追いつかなくなる。欧米から武器の供与が続くウクライナが有利になったと言われる。
ところが、もともとの軍事力で上回るロシアは、「経済制裁」の抜け道を見つけてなんとか経済を回し、武器は旧ソ連時代の古いものも投入しながら、物量で圧倒しつつ粘り腰の持久戦を展開するようになった。
また、7月ごろになると、西側諸国の支援疲れが聞かれるようになった。天然ガスの供給をロシアに依存するドイツは、パイプライン「ノルドストリーム」を故障などと称してしばしば停止され、国内にエネルギー価格の高騰という爆弾を抱えている。
「ロシアは、エネルギーを武器にして戦っている」とドイツは非難するが、戦争はどんな手を使っても勝とうとするのが当たり前なのだ。エネルギーを担保にとられたドイツの軍事支援は、EUの中心的な経済大国としては、必ずしも積極的だとはいえない時期が続いた。
第1次世界大戦のときもパンデミックだった
今回の戦争は、新型コロナウイルスの世界的パンデミックとのダブルパンチという事態になった。
約100年前、スペイン風邪と呼ばれたH1N1亜型インフルエンザのパンデミックと、第1次世界大戦が重なったことと奇しくも似た局面にある。
このときは、まず1914年に第1次世界大戦が勃発し、スペイン風邪の蔓延は1918年から20年にかけて発生した。
ロシアでレーニンによるボリシェヴィキ革命(十月革命)が起こり、帝政が打倒されたのが1917年である。翌年、ドイツが降伏して連合国側の勝利で第1次世界大戦が終わった。スペイン風邪の猛威で厭戦気分が高まり、終戦を早めたともいわれている。ロシアでソビエト社会主義共和国連邦が成立するのは1922年である。
パンデミックと開戦の順番は逆になっているが、人類初の世界大戦が発生し、大きく歴史が揺らいだ100年前との符号には、不吉なものを感じざるを得ない。