中学2年で不登校、「ハガキ職人」に没頭

皐月は東京都出身。兄弟はいない。

目標である慶應中等部に合格するために、小学生時代はとにかく一心不乱に勉強をした。そんな小学校時代は、大人向けの小説や、父から勧められた論語を読むような子どもだった。ちなみにその頃から、女の子にはモテたという。

そして、目標であった慶應中等部に無事合格できたものの、中学1年生の頃から次第に学校に馴染めなくなり、中2の頃に登校拒否になった。

東大を目指していた皐月は入学と同時に猛烈に勉強を始めたため、成績では常にトップだった。

つまずいた原因はスクールカーストである。1クラス40人のうち、14人が女子。そして、スクールカーストのトップは女子たちだったという。

人数は少ないが、力が強い女子に媚びを売るのが嫌で、友だちができず、学校に行きたくなくなったのだ。

学校に行けなくなると、全く勉強をやめてしまった。中学2年、3年の間は、毎日部屋にこもって一日中ラジオを聞いていた。

狭い部屋の中では、ラジオの世界が皐月の唯一の世界だった。今度はラジオでトップを取ろうと構成作家という夢を持ち、一生懸命聞いていた。

自分の投稿が取り上げられることが構成作家への道であると当時の皐月は信じていた。

日本で年賀状を書く女性、ねなうう
写真=iStock.com/Yue_
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皐月の没頭しやすい性格は、この頃から随所に見てとれる。そんな彼に対し、両親は特に何も言わなかったという。

不登校には慣れてくる。テストのときだけ学校に行き、勉強していないために当然成績は悪いが、数学だけは学校に行かなくてもできた。

「人生終わったな」と思った瞬間

慶應義塾高等学校へ内部進学を果たすと、今度は男子校となったために、再び学校に通いだした。

「やっぱり勉強がしたい」

不登校の間、通っていた医師のように、人を助ける医師になりたい。

その強い思いにより、再び勉強の熱に火が着く。自ら中学の学習内容のおさらいから勉強をしなおした。すると、高2、高3の成績はトップクラスとなった。

医師になることをモチベーションとして勉強に励んでいた彼だが、内部推薦での慶応大学医学部への不合格通知で、目の前が真っ暗となった。

やむを得ず理工学部へ進学し、次なる夢として研究者を目指したものの、1年生の物理でさっそく単位を落としてしまう。「人生終わったな」と思ったという。

思うとおりにいかない、思い描いたような進路に進めない苛立ち。大学生活がつまらなくなっていく。そんなとき、「ホストをやってみないか?」と、スカウトされた。