自分らしく生きるにはどうすればいいか。慶應中退で新宿歌舞伎町のホストクラブ主任を務めていた皐月は、28歳のときに行った20日間のアメリカ横断で新たな挑戦を決めた。居心地の良い環境だからこそ、やめなければはじまらないと思ったという。日本水商売協会代表理事の甲賀香織さんが書いた『日本水商売協会 コロナ禍の「夜の街」を支えて』(筑摩書房)より紹介しよう――。
※本稿は、甲賀香織『日本水商売協会 コロナ禍の「夜の街」を支えて』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。
中等部から慶應。医者を志すも一転、18歳でホストの道へ
人は、なんのために生きるのか。
常識や世間体という窮屈な枠の中から一歩踏み出してみたとき、そこに自分の居場所が見つかった。
目の前に見えていた道とは違う今を生きることを決めた皐月。彼と話していると、その自由な生き方が羨ましくさえある。
普通は執着しそうなものをあっさり捨てて次を見ている。普通は尻込みしそうなところを満面の笑みで進んでいく。新しいことへの挑戦を好み、自分なりの方法でそれを成し遂げる。
それが、新宿・歌舞伎町のホストクラブ「SINCE YOU…」で2021年12月まで主任を務めた皐月である。
ある平日の13時。一面の窓ガラスから光が差し込む店内に、皐月はいた。
私の姿を見つけると、立ち上がって深々と一礼をする。彼に染み付いた育ちの良さは、食事をするときの両手を合わせた「いただきます」からも読み取れた。
皐月。28歳。ホスト歴は10年になる。
彼は慶應大学理工学部を中退している。慶應に入ったのは中等部からだという。
幼い頃から医者を目指していた彼は、慶應大学医学部への進学の可能性を絶たれ、生きていく道を模索していた。
そんな大学一年生の秋、昼下がりの道を友達と歩いていると、見るからにホストっぽい男性に声をかけられた。
それが、皐月がホストになったきっかけである。