「死後離婚」は存在しない
日本では妻が夫の死後に離婚を求める「死後離婚」が増えているという。夫が亡くなった後、妻が離婚するケースである。
夫の死後も、夫の親や親族から介護を求められることを避ける、夫との関係を断つなどが理由だという。死んだ夫と離婚する死後離婚とは、まるでホラー映画のようだ。
フィンランドの婚姻法第3条は、「配偶者が死亡したとき、認定死亡のとき、または離婚が成立したとき、婚姻は解消する」としている。
つまり、配偶者の死によって婚姻が解消することは、離婚による婚姻の解消と並ぶものと規定されている。死んだ夫と離婚するなどありえない。
また、ここには人に対する根本的な認識の違いがある。先の記事でふれたように、フィンランドには「自然人」と「法人」がある。簡単にいうと、自然人は生身の肉体を持つ私たち人間。
法人は、会社や自治体、市民組織など「人工的」な人である。どちらもさまざまな権利と義務を持つが、「自然人」の権利は生まれたときに始まり、死んだときに終わる。死んだ人と婚姻関係にあること、死んだ人と離婚するなどということは法的にありえないのだ。
戸籍は筆頭者のもとに家族を束ね、妻は夫に、子は父に属すものとして記録する。
人口登録の制度が中立なものではなく不平等が組み込まれていることは、女性差別、外国人差別、人権侵害などの問題とつながるだろう。
個人という概念を嫌う日本
私の戸籍では、普通使われない壱、弐、参、拾などの漢字が使われていて、読みにくくわかりにくい。さらに戸籍には、明治、大正、昭和、平成、令和などの年号が入り混じる。
家族の戸籍であっても、何年のことなのかすべて西暦に換算しなければわからない。家や世帯として束ねられる一方、時間の流れは分断され元号という天皇の時間に切り裂かれる。
戸籍は、管理や統治の方法としては非効率的だ。人口登録の制度として最もシンプルなのは個人ごとに記録することなのだが、日本では個人という概念を嫌う。戸籍を「日本固有」の制度として維持することが、目的化しているようだ。
選択的夫婦別姓への強い要求があるが、自民党が渋っている。家族の絆が失われるなどが理由とされているが、より深い理由は戸籍制度が崩れることへの怖れだろう。戸籍は、平成6(1994)年に電算化されたというが、根本的な考え方は変わっていない。
遠藤正敬は『天皇と戸籍「日本」を映す鏡』(筑摩書房)で、戸籍は天皇から見た臣民簿であること、戸籍と天皇制は対になって互いを支えあう制度であることを論じた。
戸籍には日本の根幹に関わる深い問題があるのだが、自由な議論をすることができないという別な問題もかかえている。
日本の戸籍と住民票
戸籍に書かれる本籍は住所ではないので、住所の記録や証明には住民票という別のものが必要になる。
住民票の項目は、「住所」「世帯主」「氏名」「生年月日」「性別」「続柄」「住民となった年月日」「本籍」「筆頭者」である。世帯主との続柄において人はある場所に住むという思想は、戸籍の世界観とつながるものだ。
住民票を編成したものとして、さらに住民基本台帳があり、総務省はそれを次の事務処理のために利用しているという。
・国民健康保険、後期高齢者医療、介護保険、国民年金の被保険者の資格の確認
・児童手当の受給資格の確認
・学齢簿の作成
・生活保護及び予防接種に関する事務
・印鑑登録に関する事務
戸籍謄本と抄本、住民票、住民基本台帳という煩雑な制度を持ちながら、非常に限られた事務処理しかされていないことがわかる。