1980年、国連女性差別撤廃条約に署名

フィンランドの姓の流れを簡単に見ると、夫の姓に改姓するという慣習はフランスなどから西フィンランドに伝わり、1700年代から上流階級や聖職者の子女の間で夫の姓を名乗ることが流行した。背景には、ロマンチックラブと結婚を結びつける考え方があった。

女性の改姓は、1800年代になると裕福な農民層にも広がった。一方、婿入りした男性が妻の姓を名乗ることもあった。しかし、東フィンランドでは、結婚後の女性の改姓は広がらなかった。

フィンランドで、最初に「姓に関する法律」が制定されたのは1920年。当時は、屋号も使われていて、苗字を持たない人もいた。

1920年の法律は、すべての人が苗字を作ることを規定。屋号を苗字にしたケースもあった。1930年の法律で、夫の姓への改姓、または旧姓と夫の姓を合わせた複合姓が義務づけられ1985年の改正まで続いた。

つまり、女性だけが改姓するのだが、複合姓で夫は元の姓のままなので夫婦別姓である。夫婦同姓と夫婦別姓を含む法律だったことになる。

しかし、1979年の国連女性差別撤廃条約は、こうした制度を見直すきっかけとなった。その条約は、結婚と家族関係における女性差別を禁じ、男女は結婚に関して同じ権利を持つとする条項を含んでいた。

男性は旧姓を保持できるのに、女性にだけ改姓、または複合姓を義務づけるのは、それに反することになる。

フィンランドは翌80年、国連女性差別撤廃条約に署名したが、それを批准するためには法律を改正する必要があった。

日本の選択的夫婦別姓議論は40年遅れ

法務省は男性も女性も旧姓を保持できる、どちらも複合姓にできるなど選択肢を増やした改正案を準備した。両親が別姓の場合の子どもの姓については、両親が決めることができる等の案も盛り込まれた。

この改正案が国会に提出されたのは、1982年。女性議員のほとんどがその法案に賛成した。現在、女性の国会議員の比率は47%だが、当時は30%である。

しかし、改正案は強い反対を引き起こした。「家族の一体感や絆を壊す」「結婚制度を弱体化する」「親子で名前が違うと、子どもがかわいそう」。

現在、日本で選択的夫婦別姓に反対して聞かれるこうした意見は、フィンランドでは主に当時の「キリスト教連合」系と「フィンランド地方党」系の党によって、1980年代初めに主張されていた。

議論を経て、改正案が通ったのは1985年。フィンランドで女性に改姓、または複合姓が義務づけられていたのは、1930年から1985年までの55年間だ。つまり、夫婦同姓以外の選択肢がないという状況は歴史的になかった。

フィンランドで論拠になったのは、女性差別撤廃と男女平等である。日本では、自民党の右派が選択的夫婦別姓に反対している。

選択的夫婦別姓を求める訴訟で棄却されるケースが相次いでいるが、裁判で論拠とされるのは、憲法や民法、戸籍法などの法律であり、女性差別撤廃や男女平等ではない。

また、実用的な問題として同姓にした場合、さまざまな手続きの煩雑さ、不便さなどテクニカルな問題があげられることが多い。女性差別は日本社会の隅々にまで浸透しているのだが、それにより深く向き合う議論はされていない。