アメリカで結婚後、戸籍をとってみた

私は、アメリカ・フィラデルフィアで結婚した。

1991年の春で、イラクで湾岸戦争の只中だった。ペンシルヴァニア州の結婚許可が必要で、申請のためにフィラデルフィアのシティホールに行くと、手続きのために入った部屋の壁に「広島長崎バグダッド」と大きく書いた紙が貼られているのが目に入った。

つまり広島と長崎に次いで、イラクの首都バグダッドへの原爆投下を誘うものだ。

当時は街を歩くと、玄関のドア近くなどに黄色いリボンを結びつけた家をよく見かけた。出兵した息子やアメリカ兵の無事を祈る気持ちを表すものだ。しかし、それは3度目の原爆投下を望む気持ちと地続きでもあった。

結婚申請書のコピーを今も持っているのだが、1枚の長い紙で「男性の記述」と「女性の記述」の縦の2列に分かれている。住所、氏名、職業、生年月日、生まれた場所に続くのは「人種の色」である。

多様な人種の目元
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「人種の色」という表現、さらに括弧して「ホワイト、ネグロ、その他、具体的に」と書かれていることに2人とも「ええーっ!」と驚いた。非常な不快感と抵抗を感じたが、私はイエロー、夫はホワイトと書くしかなかった。

アメリカでは大学も学生の人種の分布を調査しているが、地理的なエリアで出身を聞くのが普通だ。色で言わされるのは初めてだった。

戸籍に男女の別は記されていない

ドイツのブルーメンバッハやフランスのゴビノーに遡る、1700年代後半から展開された人種理論は、1990年代アメリカの結婚許可申請で制度化されていた。

しかも、黒人より差別的な「ネグロ」という言葉も使われていた。こうした質問は、異なる人種は混ざるべきではないというゴビノー的な優生思想も感じさせる。

アメリカの結婚にはフィンランド同様、教会での結婚と非宗教的なシビル結婚の2つがある。私達はシティホールでシビル結婚した。結婚式をとり仕切るのは、牧師ではなく判事。

家でのパーティには大学院の友人や知人、教授、教務の人などが大勢来てくれて、明け方近くまで賑やかだった。