移住を決断したきっかけ
――広田の話に戻します。今日までの間に、いくつか節目ってありました?
三井 4月の6日に広田に来て、SET(注:2011年3月13日に三井さんら首都圏の大学生を中心に6人で立ち上げた、首都圏の若者と広田町を繋ぐ復興支援団体。 http://ameblo.jp/set-japan/ )のメンバーがこっちに来るための受け入れ体制づくりをやっていました。ようやく受け入れてもらえるとなったのが10日で、11日にSETのメンバーが来た。来てから10日間はSETのメンバーと一緒に活動して。そこがひとつの区切りですね。
そこから5月、6月、7月と毎月通う中で、広田にどんどん思い入れが強くなってきて、8月に40人規模の現地入りを2回行ったんです。40人規模で2泊3日を2回。
そのあとにWorldFut(注:チャリティーフットサル大会などのプロジェクトを企画・運営し、その収益を国際協力にあてる団体。2008年6月7日に、三井さんが学生仲間と設立。日本国内、カンボジア、カナダ、オーストラリアなどで大会を開催している。 http://worldfut.web.fc2.com/ )の活動で、自分、そのままカンボジアに10日間飛んだんです。
広田に10日間いて、カンボジアに10日間行って帰ってきて、来年からどうするか、本格的に考えないとヤバい時期だなと思っていました。大学2年くらいから、カンボジアでずっとなんかしたいなと思っていたんですけれど、広田とカンボジア、それぞれ10日間いて比べてみたときに、正直、カンボジアではぼくは必要とされていないと思ったんです。何をやるべきなのか、まったく何も見えなかったというのが正直なところです。あっちに自分が行ってもいかなくても、正直変わんないなと思って。
それよりも、広田に対して、純粋に、もっとこっちに関わりたいという思いがありました。広田と都内の若者がこっちに来るときのハブ、繋ぎ目みたいなものになれるのは、このSETという団体じゃないと、他にはないんじゃないか――と、そのときはある種確信めいたものを持てたんですよ。
都会の若者と、田舎のご年輩をつなぐハブが、ぼくの中ではSETだったんです。広田にいちばん最初に入ったの、ぼくだったんで、やっぱり地元の人からしても、三井ありきのSETだったんですよ。もし自分が広田に関わらなくなっていったとき、広田は限界集落からさらに人が減っていって、町自体がなくなってしまうことが、見えたというか、感じたんです。
自分自身、もっとここでやっていきたいし、そういう役割もなんとなくだけど見えてきた。「よし、移住しよう」と。思ったのは夏の終わりですね。広田とカンボジアと10日ずつ行ってあらためて考えて、9月、10月くらいです。
でも、そうは言いながらも、今年の4月から広田に移住するかどうか、正直決断しかねていた部分はあったんです。そこを見抜かれたことがあって……。
社会起業大学(注:社会起業家育成を目的とするビジネススクール。2010年4月設立。法政大の学生だった三井さんは、ダブルスクールで2010年4月から2010年7月までここで学んだ。 http://socialvalue.jp/ )の理事長さんと話している中で「お前は逃げている」ってはっきり言われたことがあって。「4月にもし広田に行けないとなったら、お前どうするんだ」と言われて、ぼくは「アルバイトでもなんでもして、5月、6月になってでも行きます」って言ったんです。そうしたら、「お前それは甘えだよ。4月に行くって決めたんだったら、それより遅れることってあり得ないんだ」って言われて。そこで初めて、ああ、ぼくは逃げていたんだということに気づいたんです。
そのとき、おカネをどうするかとか、泊まる場所をどうするかとかまったく決まっていなかったんですけど、今年の1月の終わりくらいに単身広田に来て、ジローさん(注:現時点での三井さんの広田町での下宿先の大家さん。昨4月に三井さんが初めて広田に入ったときの拠点の近くに家があり、そこでご縁が生まれた)とお話させてもらって、まずは住む場所と食べるものに関しての確約を得ました。収入がなくてもそれだけあれば、なんとか暮らしていける。そこが第3か第4の節目です。4月にはこっちに来るって決めたのがそのときだったので。それを後押ししてくれたのが、「やっぱり逃げてたんだね」と言われ、「こんにゃろう」と思わされた社会起業大学の理事長さんです。
――ジローさんもよく呑んでくれましたよね。
三井 ほんと……ありがたいですよね……。地元の人からしたら、ぼくが来ることに対して「ああ、来い来い!」って言ってくれる人でも、「ではあなたの家に下宿させてください」となると「あ、それはちょっと……」ってふつうはなると思うんです。でも、ジローさんはそれを受け入れてくれた。
「お前本当に大丈夫なのか」って、周りの人に訊かれたらしいんですよ。たとえばぼくが広田で失敗して、東京なり筑波なりに帰るとするじゃないですか。ぼくはいなくなればいいだけですけれど、ジローさんはここで生きていくしかない。そうなったら、ジローさん、周りからめちゃくちゃ言われるはずなんです。「広田にせっかく若いのが来たのに、お前のせいでいなくなったんじゃないか」って。
でも、ジローさんは、「俺はそういう批判を浴びる覚悟もした上で、お前を受け入れている。そうなって欲しくないけどな。でも、そうなっても俺は後悔しないような決断をした。お前がこっちに来てくれて、広田のために何かやろうとしているのであれば、俺はバックアップしていきたい」と言ってくれている。それはほんとうにありがたいです。帰る気はさらさらないですけど。
ジローさんのところにお世話になると決めてからは、広田で収入源を確保するために動きましたし、移動手段もないと動けないから免許も取って。それを確保するのにこの1カ月半費やして、なんとか確保できて、いちばんいい形で広田での暮らしを始めることができました。