「治せません」ではなく「治せます」と言える医者
この出来事が彼の心の中に、一つの小さな炎を灯す。自分は新しい手術の方法を開発し、「治せません」ではなく、「治せます」と言える医者、すなわち「CANと言える医者」になろうと志したのだ。
「調べてみると、どうやら手術法はすでにいろいろと検討されていて、新しい術式を生み出すのは非常に難しいことがわかりました。そんなとき、大阪大学心臓血管外科の澤芳樹教授が『心筋シート(iPS細胞から作られたシートの移植で心機能の回復が見込める)』を開発したというニュースを聞いたんです。高2のときでした」
高校生の田邉さんは考えた。仮に天才外科医がいて、彼は一生に何人の人を救えるだろう? いくら天才でも1日にできる手術数には限界がある。それよりも心筋シートのような新しい医療デバイス、たとえばカテーテルを開発した人のほうが、はるかに多くの人を助けていることになりはしないか。
「新しい医療デバイスを開発する。そこに自分の人生をかける意義と価値を感じたんです」
となると、自分が進むべき道は、医学か工学か。田邉さんはこれまでに開発された医療機器が生み出された背景や歴史を一つずつ調べた。
「わかったことは、ほとんどの医療機器の最初のコンセプトを考えたのは医者だということ。つまり、まず現場のニーズありきで、エンジニアの出番はその後。これで医学部に進む決心がつきました」
受験の結果は大阪大学と慶應義塾大学の両方の医学部に合格。横浜在住の両親の反対を押し切り、心筋シートの開発者・澤教授のいる大阪大学に進学することを決めた。
「医学部に入り医者になる=ゴール」ではないと話す田邉さん。医学部1年生のときに祖母をがんで亡くしたこともあって、「CANと言える医者」に向けての活動にも拍車がかかる。
まず「inochi WAKAZO Project」に参加。これは東京大学、京都大学、慶應義塾大学、大阪大学の医学部生が中心となり、産官学が一体となって命を守る社会の実現を目指す学生団体で、田邉さんは2年生のときに代表を務め、現在も「inochi未来プロジェクト」の推進委員として活躍している。
順天堂大学医学部2年生で経営者でもある浅見咲菜さんは、この団体で田邉さんの後輩に当たる。当時の彼のことを、「とにかく活動に対するガッツというか、圧力というか、そういうものが怖いぐらいに強い人でした」と振り返る。