その後も薬を飲みながら仕事に復帰するが、副作用で身体がだるく、昼間は眠気に襲われた。どうしても業務に集中できず、数週間後、診断書と退職届を握り締めて社長室に向かった。2017年の1月、6年間勤務した縫製工場を退社した。

縫製工場を辞め、フリーランスになる

縫製工場の寮を出た田村は大阪市でアパートを借り、パタンナー(服のデザイン画の型紙を起こす人)が所属する会社に勤め始めた。しかし、さらに症状が悪化し、その会社は3カ月で辞めることになる。

なだれ込むように実家に戻ると、一時的でも苦しい環境から離れたことで少しずつ回復していく。2カ月後には薬を飲まなくても、普通に生活できるようになった。

アトリエから見える大阪の街並み。
筆者撮影
アトリエから見える大阪の街並み。

「そろそろ大阪のアパートをどうするか決めないと……」と考えていたとき、1本の電話がかかる。勤務していた縫製工場の社長だった。近況を伝えていたこともあり、「こっちに戻ってくるんやったら、サンプル縫うのやらへんか?」と誘われる。

「サンプル」とは、洋服の試作品のこと。縫製工場にはサンプル室という、メーカーから依頼された試作品を縫う場所がある。この仕事はアルバイトやパートが多く、報酬は出来高制(製造した物の量等の成果に応じて賃金の額を決定する制度)だ。最初から最後まで1人につき1着を任されるため、好きな時間に工場でも自宅でも仕事ができる利点があった。

「この方法なら縫製の仕事を続けられるかも」

大阪に戻り、2017年11月に開業届を提出。フリーランスで縫製工場のサンプルの仕事を引き受けるようになった。

祖母の苦悩と、生きづらさを抱えた経験が重なり合う

その後、心のゆとりを取り戻し、愛媛にいる母のマンションに頻繁に顔を出すようになった。徳島県に住んでいた盲ろうの祖母は、母と暮らし始めていた。そんな中、2018年の春、祖母の本音を耳にする。

「おばあちゃんは目も見えないし、耳も聞こえない。役立たずの人間だから、スクラップに出してくれ」

祖母が自暴自棄になってしまう理由には、生い立ちや障害からくる心労が背景あった。

田村は、当時の祖母をこう振り返る。

「おばあちゃんは、料理や身の回りのことをほとんど自分でやっていました。人に迷惑をかけることが嫌いで、誰かに頼ることがとても下手な人です。でも、ここ数年でできないことが増えて、光の調光さえ感じられなくなって…。積み重なったものがバーッと爆発してしまったんだと思います」