「テニスやろうぜ」都庁の会議室で誘われた

――価値紊乱者として文壇に登場した石原慎太郎さんの本質は、政治家に転身しても変わらなかったのですか?

本質はぜんぜん変わらなかった。小説家としても政治家としても、石原さんは停滞する空気をかき回して、沈殿したものを攪拌かくはんする役割を担ってきた。

だって、都庁で行われる式典で国家を斉唱する際は「君が代は~」を「我が日の本は~」に代えて歌うんだよ。それに、石原さんは都庁の一室でテニスをするんだから。

都知事の執務室がある7階には、使っていない会議室がある。ある日、ぼくはラケットとボールを見つけた石原さんに「テニスやろうぜ」と誘われた。「室内で?」と聞き返すと「そうだよ」とこともなげに言う。空き部屋がテニスコートと同じくらいの大きさでちょうどよかった。両端に置いた椅子に荷造り用の紐を結んでネット代わりにしてさ。お互い負けず嫌いだから、本気になっちゃって……。

普通は会議室でテニスなんてやんないよね。十分に価値紊乱者でしょう。

石原氏との思い出を語る猪瀬氏。副知事時代、毎週金曜日の昼前30分が石原元都知事と語らう時間だった。
撮影=プレジデントオンライン編集部
石原氏との思い出を語る猪瀬氏。副知事時代、毎週金曜日の昼前30分が石原元都知事と語らう時間だった。

だれも自動車業界には切り込めなかったが…

――政治家として石原慎太郎さんはどんな価値を紊乱したんですか?

まずディーゼル車の排ガス規制がそう。会見で、石原さんは真っ黒いススの入ったペットボトルを振り回していたのを覚えている人もいるんじゃないかな。ぼくもランニングしていたから、停まったディーゼル車の排気ガスのひどさを知ってはいた。排ガスの問題は多くの人が気づいていたはずなんだ。

ただ規制の相手は自動車産業でしょう。言うことを聞くわけがないと誰も改革に着手できなかった。いや、自動車産業に忖度そんたくして、誰も問題視しなかった。でも石原さんだけは違った。政府やほかの自治体ができないなか、東京都で条例を作った。全国のトラックは東京を経由しないと仕事にならない。だから結果として全国的な効果をもたらした。

あと石原さんは都民の健康増進を目的に東京マラソンをはじめたり、寄付金を募って尖閣諸島を購入しようとしたりもした。普通の価値観じゃ絶対にできないことをいくつも成し遂げた。だから石原さんは「異人」と呼ばれていたんだろうね。

対して小泉(純一郎)さんは「変人」。ぼくが「道路公団の民営化をやる」と言ったら、総理大臣だった小泉さんが一言だけ「やれ」って。自民党のほかの代議士だったら絶対に言わないからね。その意味でも小泉さんも価値紊乱者のひとり。だからぼくは石原さんと小泉さんと気が合ったのかもしれない。