「一期一会」とは、二度とないこの瞬間を大切にすること
皆さんもどこかで「一期一会」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。
「一期」とは仏教語で「一生涯」を表し、「一会」は、「ただ一度の出会い」を意味します。
つまり、一生涯でただ一度の出会いをいいます。
その日に出会った人とは、今後もう二度と会えないかもしれないので、その人との時間を大切にしましょう、と多くの人が解釈しているようです。
しかし、この言葉の本当の意味は少し異なります。
たとえ毎日顔を合わせる家族や友人、仕事仲間であっても、その日その時の出会いは一生に一度だけで、二度と同じ日や機会が戻ってくることがありません、という意味です。
海外からいらしたお客様に「一期一会」の意味をお伝えすると、「有意義な人生を過ごす上でとても大切な言葉ですね」ととても感動されます。
「一期一会」は、千利休の弟子の一人である山上宗二が記した『山上宗二記』の中に、「いつもの茶会であっても、臨む際は一期に一度のものと心得て誠意を尽くせよ」といった一文が最初であるといわれています。
そして、この言葉を広めたのが、江戸幕府の大老で、茶人でもあった井伊直弼です。著書『茶湯一会集』に次のような文章があります。
「そもそも茶の湯の交会は、一期一会といひて、たとへば、幾度おなじ主客交会するとも、今日の会に再びかえらざることを思へば、実にわれ一世一度なり。」
(たとえ同じ人と何度も茶会で同席する機会があっても、今、この時の茶会は一生にその日ただ一度のこと。二度と同じ時に戻ることはできない。だから一回一回の出会いを心を尽くして臨まなければならない)と述べています。
「一期一会」は、茶道の心得を表した言葉となり、お茶会に臨む際には、今後、お茶会を開く機会があったとしても、全く同じものを繰り返すことはできないので、常に人生で一度きりと心得て、相手に対して精一杯の誠意を尽くしましょう、といわれています。
いつもの平凡と思っている日常が違ってみえる
お茶会に限らず、「一期一会」の精神は実生活でも役立つ生き方だと思います。
私たちの人生は、出会いの連続です。
家族や友人、仕事仲間などたくさんの人たちとの出会いがあります。
たとえ毎日同じ人と同じ場所で、何度出会いを重ねても、やはり毎日が「一期一会」で同じ日はなく、戻ることもできません。
私も幼い頃、祖父母がいて、両親がいて、妹がいて、学校にいけば友人がいて、いつも皆が周りにいて、同じような風景がいつまでも続くと思っていました。
頭の片隅では、永遠に続くことはないことはわかっていながら、この状態がずっと続くように思っていました。
そして今、祖父母はいなくなり、友人たちとも別々の道に進むようになりました。
目を瞑り、その当時を思い出すと、二度と戻ってこないその日がとてもひかり輝いて見えて、大切な日や人々だったと思うことができます。
今日という日はかけがえのない一日だと感じることができれば、いつもの平凡と思っている日常が違ってみえるのではないでしょうか。
その日一日を大切に目の前のことに一生懸命向き合っていく。
自分を、周囲の人たちを、時間を、大切に誠意を持って生きる。
現代の心が落ち着かない、人と人が簡単に会うことが叶わなくなってしまった時代だからこそ、「一期一会」人との出会いを大切に、丁寧に生きることで、明るい未来に繋がっていくと思います。