「わび・さび」は足りないことを美しさとして見出すこと

「さび」は、時間の経過と共に古くなり、色あせ、錆びて劣化していきますが、逆に古くなることで出てくる味わいや枯れたものの趣ある美しさを表します。

例えば、銀などは時を経ることで、色味や風合いが変化して、アンティークのような落ち着いた味わいになります。

さびは、英語で「impermanent」と訳されます。

日本人は時間と共に移ろいでいく様を愛でて、そこに美意識を見出しているのです。

「わび」は、さびを美しいと思う心や内面的な豊かさを表します。

例えば、歪みや壊れなど、姿かたちが整っていないものでも、個性として独自の魅力を見出し、不完全なものを面白がるのが、わびの美意識です。

置かれている状況を悲観するのではなく、それを楽しむ精神的な豊かさを表した言葉です。

わびは、英語で「incomplete」と訳されます。

わびは、室町時代に茶の湯と結びついて発達しました。

「わび茶」の創始者といわれる村田珠光は、高価な「唐物」の美術品鑑賞を尊ぶ茶会に対して、より簡素な道具を用いる静寂な茶の湯へと変えていきました。

華麗なものを一切そぎ落とした精神的なものを重視することが「わび」の概念となりました。

この2つが併さり、わび・さびとなりました。

西洋的モダニズムと対局的な美意識

わび・さびという言葉は英語でもWabi-Sabiとして通じます。

このわび・さびを外国人の視点から説明しているのが、1990年代にアメリカで出版された、レナード・コーレン著の『Wabi-Sabi for Artists, Designers,Poets & Philosophers』(邦題:『わびさびを読み解く』)です。

それまで明確化されていなかった「わび・さび」を、正反対にある西洋的モダニズムと呼ばれる思想と比較してわかりやすく説明した本です。

例えば、テクノロジーと自然、人工と天然、大量生産と一点ものなど、近代合理主義を背景とした西洋的モダニズムがわび・さびと対局化した美意識だということがわかります。

また、明治時代に、岡倉天心が『The Book of Tea』(『茶の本』)で日本の茶道や日本人の精神性を紹介しました。

この中で、「茶道の根本は、不完全なものを敬う心にあり」と記しています。

この不完全なものという表現が「わび」をよく表していて、日本の美意識として世界へ広められました。これらの本によって、世界中にWabi-Sabiブームが起こりました。

わび・さびは、簡素なものの趣を味わう日本的な美意識であることはわかりました。

ただし現代の機械化され、ものにあふれた日本社会を見渡すと、日本からわび・さびの繊細さや感性が消えつつあるように感じ、寂しさを覚えます。

しかし、コロナ禍がもたらした現在の鎖国のような不自由な時代の中でこそ、物質的な豊かさではなく、質素さの中にある内面的な美意識や、古いものの美しさを感じ取る日本人としての感性を再構築できるのではないかと思っています。

朝日を浴びる東京
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