神社は“神頼み”ではなく決意を再確認する場所

私は月に一度、朝早くに九頭竜大社にお参りする。この習慣は初めてお参りして以来、一度も欠かしたことがない。

そこでは自分の決意を述べるだけである、今度こういう会社を買って再建させますとか、こんな事業を始めるので成功させますなど、心の内にある決意を聞いていただくのだ。決して「どうかうまくいきますように」と願いをかけるようなことはしない。

神頼みでうまくいくなら、神様にお願いする人はみなうまくいくはずだが、そんなことはない。私にとって神社は、純粋な気持ちで仕事に向かうことを誓ったり、これからの決意や覚悟を再確認するための場所なのだ。

京都にはたくさんの神社があるが、お参りするのはこの九頭竜大社だけである。神様においても一途であるべきで、浮気しないほうがいいのだ。

拝殿で手を合わせた後は、必ずおみくじを引くことにしている。それがまたズバリ、そのときどきの心境に刺さるのである。あまりにも当たるので50年以上もお参りを続けているといってもいい。だから、おみくじを引くときは緊張する。

調子に乗って有頂天になっているときは、「驕るなかれ」と慢心を戒めることが書かれていたり、問題を抱えて壁にぶつかっているときは、「もう少し辛抱すれば、好転の兆しが見えてくる」と励ましてくれたりする。

月に一度のお参りにより、私は毎月、初心に戻ることができているのである。

参拝する人
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運がほしければ、運が集まっている場所に行くといい

テレビの相撲中継を見ていると、花道を歩く相撲取りの体を観客が嬉しそうに触ったり、叩いたりする光景をよく目にする。相撲というのは本来神事であり、その神事をつかさどる超人的な力を持った相撲取りに触れるのは縁起がいいということらしい。もっとも真剣勝負に臨もうと集中力を高めている相撲取りからすれば、体をぺたぺた触られるのはたまったものではないだろう。

以前、ぜひ採用したいと思った優秀な人材がいた。ところがなかなか受諾の返事をくれない。理由を尋ねたところ、「実はあるベンチャー企業からお誘いの話があり、迷っているのです」と言う。そのベンチャー企業の社長から「日本電産なんか、やめておきなさい。当社が世界をアッと言わせる大きな企業になった暁には買収しますから」と熱く語られたというのだ。

日本電産を買収すると言っているのは、いったいどこの会社なのか。言い渋っていたその青年の口からようやく出てきたのは、何と我が息子が経営するベンチャー企業の名前であった。その息子は半ば冗談で、私と握手すると「運を吸い取られる」と言って握手を拒むが、運がほしければ運を持っている人と縁を持ったり、運が集まっている場所に行くといいのは事実である。