「私と接触した方は…」と注意喚起すべきだった

しかし、せっかく感染を隠すことなく即座に公表したにもかかわらず、最も周知するべき感染可能期間の行動歴をあえて隠そうとしたことが、大きな問題なのである。「感染の事実を誠実に公表した」文面の中に、まさか隠された事実があるとは、普通思わない。「誠実な書き込み」を装って虚偽を流布する行為は、感染の報告をしないよりも悪質とさえ言えよう。

そして行動歴を隠した理由を「不安を与えないように」としたことも、大きな過ちである。知事の行動歴など、後にいくらでも明るみに出る。隠し通せるものではないのだ。そもそも隠せない事実を小手先で隠してみたところで、それがバレたときには、知事にうつされたかもしれないという不安などとは比較にならない、県政に対する不安と不信感が引き起こされることは容易に気づけることではないか。

正直に「コロナに感染しました。じつは症状は12月30日より自覚していました」として発症前からの行動歴を詳細に公表し、「この間、私と接触もしくは接触した可能性のある方は、症状の有無にかかわらず迅速に検査できるよう措置を講じますのでお申し出ください。またこれらに該当する方は、周囲の方にも注意を呼びかけてください」と発信したほうが、よっぽど県民は安心できるに違いない。

「感染は悪である」との認識を再び植えつけかねない

せっかくこの3年間で「感染は悪ではない」との認識が浸透してきたにもかかわらず、今回の知事の行動によって、再び「感染は悪である」との認識を私たちに植えつけかねないものとなったことは非常に残念だ。

ただ本件の中には、一つの希望を見出すことができる。それは、宮崎日日新聞社が県の“要請”に応じず事実を報じることで、メディアとしての責務である私たちの「知る権利」を毅然きぜんとした態度で担保したことである。

安倍政権以降、テレビをはじめとしてメディアは首相官邸からの圧力を事あるごとに受けてきた。「公平公正に」という言葉を用いた“要請”によって、政権を批判するコメンテーターや政権幹部に鋭い質問をぶつけるキャスターを、ことごとく表舞台から排除するような圧力を報道機関にしかけてきた。

それによってメディアは萎縮し、政治権力に従順となり、さらには仲良く会食までして取り込まれ、すっかり報道から批判的吟味を放棄するに至ってしまった。それによって、この数年の間に政治の劣化と腐敗が急速に進んだことは、多くの人が実感していることだろう。