体調不良で人に会うほうがよっぽど迷惑である

だが今このコロナ禍にあって、少しでも異変を感じた場合は、コロナに感染している可能性をまず念頭におかねばならないのは、もはや常識だ。すなわち「コロナ前の考え方と行動」を180度変えねばならないのが、ポストコロナなのだ。その理由は、改めて言うまでもなくコロナの感染力が普通のカゼの比ではないからに他ならない。

つまり今回の知事のとった行動は、体調異変を感じてはいたものの倦怠感もなく体調的には初詣に行けてしまう、という体調と事情を衡量する考え方に立脚したものであって、自分が感染していた場合に他者に感染させてしまう可能性があるという認識を一切その判断に加えていない「自己中心的思考」に基づいたものと言える。

そして知事が初詣に行くということは、私のような無名の個人が行くのとまったく状況が異なる。その場で出会った人に声をかけられたり、挨拶されたりする可能性は容易に予測され得ることなのだ。しかもつい1週間前に4選を果たした知事となればなおさらだろう。じっさい知事の書き込みにも、「お声がけいただいた方に挨拶したりはしました」とある。

知事の立場になって考えれば「お世話になった方に新年のご挨拶くらいはせねば失礼にあたる」との気持ちもあったのだろうが、本当に相手のことを考えるならば、体調不良の状況で挨拶するほうが、よっぽど失礼、いや迷惑であり危険である。

「休むと迷惑をかける」という考えから抜け出せない日本

結局コロナが上陸して3年が経過しても、「他人に感染させてしまうリスク」についての意識が希薄なままなのだ。昨今「マスクを外そう」と声高に叫んでいる人たちがいるが、これも同じだ。マスクが、他者からうつされないためのものというより、他者にうつさないためのものであることを認識できていないか、他者への配慮を著しく欠いているかのいずれかであろう。

横断歩道を行き交う人々
写真=iStock.com/7maru
※写真はイメージです

「自分が休むと他に迷惑をかける」「挨拶をしないと失礼にあたる」といった“事情”を優先する考え方から抜け切れていないのも、今の日本の最も厄介な病巣の一つだ。

「自分が休むことで人に迷惑をかける」という考え方については、知事のその後の行動からも見てとれる。仕事始めの県庁幹部会議にオンラインにて参加し「私の不在により、年頭の各種業務にあたり、さまざまな負担をかけることについておわび」したというのである。拙著『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)にも書いたが、私も含め日本では仕事を休んだ場合に「謝る」という風習が今なお根強く残っている。

どんなに体調不良で休んでも、その原因や責任が休んだ人に帰されるべきものでなくとも、「謝る」。休む際にも、休み明けの職場復帰の場でも「ご迷惑をおかけしました」と、まず「謝る」のである。