少しでも自宅療養期間を短くしたかった?
このように休んだ人が負い目を感じる風潮は「休めない社会」をより強固なものにしてしまう。感染症の蔓延時は、とくにこの悪い習慣は危険である。ポストコロナでは一刻も早くこの因習を撲滅せねばならない、というのが私の持論だ。
そして知事は県庁スタッフに謝罪するとともに、療養期間は1月6日までの見込みであると伝えている。これは逆算すると分かるとおり、発症日を12月30日としたものだ。前掲の知事が示した経緯では「12月30日から多少喉の痛みは感じていました」としつつも「倦怠感なども、1日夕方まではありませんでした」さらに「1月1日の夕方から倦怠感を感じ、1月2日の朝に発熱があり、抗原検査キットによるセルフテストで陽性が判明したものです」との記述も続け、初詣に出向いたことを、あたかも仕方がなかったことかのように釈明している。
問題発覚後の今なお知事がこのような認識を釈明に用い、県民をはじめとした私たちに受け入れてもらおうと思っているのだとすれば、発症日は1月1日とするはずだ。それにもかかわらず発症日を12月30日としたのは、少しでも自宅療養期間を短くし、公務への影響が少なくなるようにするためではあるまいか。
感染対策の先頭に立つからこそ十分に休むべき
現在、有症状の感染者の自宅療養期間は発症日の翌日から7日間とされているが、これは「7日経過すれば他者に感染させない」という科学的根拠を基に決められたものではない。いわゆる経済活動を優先した“事情”で以前の10日間から短縮されただけのものなのだ。じっさい政府も療養期間を過ぎた後の感染可能性を否定してはいない。
知事の場合、もし12月30日を発症日とするのであったとしても、本来なら発症日翌日から起算して10日後である1月9日までは自宅にて待機してもらいたかったというのが、感染拡大を懸念する医師としての私の見解だ。
4選を果たしたばかりの知事として正月早々休むわけにもいかない、ということから、“なるはや”で職場復帰する姿勢を見せたいのは理解できなくもないが、何度も言うようにそれは「コロナ前の考え方」だ。感染対策の先頭に立つ知事だからこそ、周りへの感染防止の観点から率先して十分な日数休むという範を示すことによって、県民をはじめとした私たちに「休める社会」「休みやすい社会」の構築を訴えるべきだったであろう。
次に、今回の事件に内在する2つめの問題点である「政治とメディアの関係」について考察したい。