小説、映画にもなった銀座花形バーの闘い

おそめが銀座に出店した当時の銀座では、最上等の「エスポワール」をはじめ、「ブーケ」「らどんな」「ルパン」など、数多くのバーが覇を競っていた。おそめは後発である。ところが、エスポワールのマダム、川辺るみ子は、おそめの銀座進出に神経を尖らせた。おそめとエスポワールの銀座での競争、その背後にある秀とるみ子のライバル関係、この辺の話は、本書の中でもとりわけコクがある部分だ。

エスポワールは初めて入る客が極度に緊張するような敷居の高い店であり、それが売り物だった。川辺は当時38歳。大正生まれながら167センチの長身、派手な顔立ちで、日本人離れした華やかさがあった。プライドが高く、男にもズケズケものを言い、どこかなげやりで退廃的な魅力をまとった女。「私の店はほかより高い。だって私の店なのだから」などと言っても、相手がそのまま納得するくらいの迫力があったという。その一方で、るみ子はかなりの勉強家であり、英語やフランス語を習ったりと、知性を磨くことも怠らなかった。彼女のモダンな美貌と才気に魅了されて、日本を代表する政治家や財界人、一流文士、新聞社の幹部らが夜ごとエスポワールにたむろしていた。ようするに、エスポワールの魅力もまた、川辺るみ子その人であった。

おそめとエスポワール。この2店は対照的な持ち味ながら、そのコントラストが利いて双方が銀座で大成功した。好対照の2店が競争することで互いの魅力が際立ち、銀座の業界全体が盛り上がった。好敵手同士の競争ドラマは、ベストセラーとなった小説『夜の蝶』に描かれ、映画化もされたほどである。

木屋町仏光寺での開店から銀座出店まで、おそめは一点の曇りもない成功をおさめてきた。客は完全に秀の天然の天性から生まれた戦略ストーリーの一部であり、まるで存在しない脚本に従って動いているようであった。常連客の振る舞いを含めた世界観こそがおそめのステイタスであり、信用にもつながった。独特の世界観を愛した常連たちが、希有な社交場としておそめを大切に育てていったのである。

(続く)

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