「おおー、これだ!」
坐禅堂のつくりが永平寺とそっくりだ
都内有数の高級住宅街、成城学園前駅で電車を降りてタクシー乗り場へ。乗車して5分。曹洞宗の成城山耕雲寺(こううんじ)に着いたのは、7月のとある土曜日、夕刻のことだった。
閑静な住宅街のなかに忽然とあらわれたのは、コンクリート打ちっ放しのモダン建築だ。ちょっとした現代美術館の様相で、タクシードライバーから
「耕雲寺です」といわれなければ、お寺だとはわからなかった。坐禅というと、永平寺における深山幽谷のイメージがつきまとっているからか、そのあまりに現代的な風情に意表をつかれた。
気を取り直し、玄関で記帳をすませ400円を納めると、さっそく持参した作務衣(さむえ)に着替えた。手渡された『参禅要領』には「一刻を惜しんで身支度を整え禅堂に入る」と書かれている。
「一刻を惜しむ」というような精神に訴えかける文言が新鮮で、修行感覚を刺激される。がぜんやる気が出てくる。坐禅堂へ向かう。
廊下を歩くときは、左手の親指を手のなかに包みこみ右手の掌で覆う叉手(しゃしゅ)という独特の手の構えをする。もうここから修行である。この時点ですでに永平寺の感覚が蘇ってくる。
そしていよいよ坐禅堂に入堂となったとき、私は思わず心のなかで「おおー、これだ!」と叫んだ。同じ曹洞宗なのだからあたりまえだが、坐禅堂のつくりが永平寺とそっくりなのだ。