緊張感が静かに漂う薄暗い堂内では、すでに数人の参加者が坐っていた。曹洞宗の場合、壁に向かって坐る。この個と向きあうという感じがまたいいのである。入堂も決まりにしたがって、左足から敷居をまたぐ。坐蒲(ざふ)を整えると、坐台に上るのだが、これが厄介である。台の高さは膝の少し上くらいで、手前に幅20センチほどの木の縁が横に通っている。ここは本来、食器を置く卓としても使うので、手や服が触れてはならない。
そこで後ろ向きになり両手を台の畳の部分について、両足をスッと引きあげて縁を飛び越えそのまま胡坐になる。これが難しい。機敏さと体力がいる技である。作務衣の裾がどうしても縁をこすってしまう。そこは仏様にも目をつむってもらい、ともかく坐るまでいく。
坐禅は基本的に結跏趺坐(けっかふざ)(両足を組んで坐る坐り方)だ。これもまた難しい。最近は和室の居酒屋でも掘り炬燵式の卓が増えている。現代人は胡坐(あぐら)をかくことが苦手になっている証拠だろう。ましてや結跏趺坐となると、できない人のほうが多いのではないか。
できなければ半跏趺坐(はんかふざ)(片足を上げて坐る坐り方)か胡坐でもいいのだが、これでは左右の膝と坐骨の3点で上体を支える結跏趺坐のような安定感は生まれない。よってどうしても坐禅中に、体をもぞもぞさせたり、疲れたりしがちになるので注意が必要だ。
さて、坐ったらまず調身(ちょうしん)という動作を行う。掌を上にして両膝に置き、上半身を左右、前後に揺り動かしてから、次に口を細くあけてゆっくりと深く息を吐きだす。それから手を組むのだが、この形を法界定印(ほっかいじょういん)と呼ぶ。仏像などでおなじみの、両手で楕円形をつくるあの形である。顔を正面に向けて目は閉じない。視線は約1メートル先に向けて斜め45度の角度に落とす。すると自然に半眼になる。