「高齢」という言葉に怒った反骨じいさんの生涯

90歳を過ぎてもなお、かくしゃくと生きている人には闘争本能が強く残っています。権威に負けないとか、自分の信念を曲げないとか、世の中の風潮に平気で逆らうといったことですが、わたしの実感としてもこのことは認めます。

たとえば70歳ぐらいで妙に丸くなったり、周囲に遠慮する人のほうがボケやすいのです。

むしろ、派手なシャツやセーターを着込んで街を歩いたり、若い女性と楽しそうにお茶を飲んでいるような人は、たとえ家族に「いい歳をして恥ずかしい」と思われても脳は溌剌としています。

むのたけじさんというジャーナリストは1915年生まれで2016年、101歳で亡くなりましたが、ある雑誌で「高齢」ということばに怒っていました。

「オレたちを高齢者っていうなら、わかいやつは低齢者と呼べ」

この主張は鋭いです。

高齢ということばしかないから、年寄りはなんだか弱者のような邪魔者のような印象を与えてしまいますが、低齢ということばがあれば逆に、高齢は偉いというイメージになります。若者なんて低齢者だと考えれば、頭の悪いのは若者ということになります。

だから「後期高齢者」ということばを国が使い始めたときに、このむのさんというジャーナリストは「ほらみろ」と指摘しました。

「やっぱり国は年寄りをそういう目でしか見ていない」というのです。

デニムシャツと眼鏡をかけた年配の男性があごに手を置いてほほ笑んでいる
写真=iStock.com/izusek
※写真はイメージです

世間の常識に従う60代は先が見えてしまう

あるいは「老後」ということばにも噛みついていました。

和田秀樹『60歳から脳を整える』(リベラル文庫)
和田秀樹『60歳から脳を整える』(リベラル文庫)

「『老い』はわかる。だけど『その後』ってなんだ。ただの老いでいいじゃないか」

この主張も鋭いです。「老後の人生」といえば、老いてその後の人生ということですから、死を待つだけになってしまいます。「老いの人生」でいいはずです。

こういう、90歳を過ぎてもまだ闘争心旺盛な人というのは、ボケとまったく無縁に生きています。60代の男性が、闘争心をなくして世間の常識に従ったり、周囲に遠慮するようになってしまったら先が見えてきます。

当分の間、反骨じいさん、反骨ばあさんを目標にするというのはどうでしょうか。

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