じわり広がる性別にとらわれない育児法
性の多様性にまつわる認識は、急速に変革を遂げつつある。一昔前までは同性愛の人をからかうような言動が当たり前のように繰り返されてきたが、今日では人権の侵害と取られてもおかしくはない。
性自認についても同様の傾向にある。ノンバイナリーの選手の心情を尊重しないことは、もはや非難の対象となっている。ノンバイナリーを子育てにも適用することは、ここ数年で広がってきた新しいコンセプトだ。
おそらく親たちも手探りで進めている状況であり、まだまだ議論の余地も残されている。たとえ個々の方法論については異論があろうとも、ノンバイナリーの子育て法がじわりと認知度を上げてきていることは疑いない。
「性別のない赤ちゃん」というコンセプトは奇異なものとすら感じられるが、その根底にあるのは、男女の性差の解消という普遍的な方針だ。
たとえば日本の中学校では、男子は技術科、女子は家庭科を修める時代があったが、1990年度から男女共修に改められている。この流れをさらに低年齢化し、赤ちゃんの時に与えるおもちゃの時点から性差を取り払ったものと考えれば、さほど異質で受け入れがたいものではないだろう。
「性別のない子供」が当たり前になるか
ノンバイナリーの子供に対する接し方は、決して難しくないという。ある親はガーディアン紙に対し、人々は自分で思っているよりも早くノンバイナリーの概念になじむと語っている。
「これまで何度も、『わぁ、今まで(ノンバイナリーの子供に)会ったことがないよ』とか、『(三人称の呼び方を)毎回正しく言う自信はないからね』とか言う人々に会ってきました」「けれど彼らが思っている以上に、うまくやってくれるんです。思っているほど難しくはないんです」
男女の型にはめない育児法が少しずつ市民権を得てきているようだ。「性別のない子供」の考え方には一瞬たじろぐが、思いのほか早く浸透していくのかもしれない。