※本稿は、西村博之『ひろゆき流 ずるい問題解決の技術』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
そのリスクは許容できるか?
僕は問題解決をするときに、人から“ずるい”と思われる手段も含めて解決策を考えます。
「ずるい」にもいろいろあります。法に触れなければアリの場合もあるし、バレなければOKの場合もあります。
もちろん、ずるい方法=抜け道を選ぶということは、リスクもともないます。
そもそも抜け道が見つからないこともありますし、進んでみたら行き止まりというケースもあります。誰も通ったことがないけど成功確率が高い抜け道なんて、そうそう見つかりません。ノーリスクの最短ルートがあったら、みんなその道を選びますからね。
だから、最短ルートを選ぶ代わりに何かをあきらめる場合もあるので、そのリスクが許容できるものかどうかを確認する必要があります。
リスクに対しては、日本人は過剰に恐れる傾向があります。「なんとなく怖いからやめておこう」という心理ですね。
でも、そういう人に「やってみたら、どういうリスクがあるの?」と聞いてみると、たいてい「起きていないからわからない」と答えます。つまり、「何が怖いのか」も「どんなリスクがあるのか」もわからずに、ただ恐れているわけです。
僕は、こうした「なんとなく怖い」ことは、一度体験してみるようにしています。いざ試してみると、じつはたいしたリスクがなかったというケースは少なくありません。
なので、僕はリスクに関しては、ゼロリスクを求めるのではなく、「そのリスクは許容できるかどうか」を考えるようにしています。
リスク評価はコロコロ変わっていい
「リスクが許容できるかどうか」は、いつ判断するかによって結論が変わることがあります。
たとえば、僕は新型コロナウイルスのワクチンに関しては、最初はかなり懐疑的でした。
ワクチンは本来であれば開発から治験、実用化までに10年ぐらいかけて安全性や有効性を確かめるものです。でも、新型コロナのワクチンは1年ぐらいで接種が始まったので、「絶対ヤバい」と思っていました。
ところが、アメリカやイギリスをはじめ世界中でものすごい早さで接種が進んで、1億人以上が打つようになりました。あっという間に治験から実地になったので、「もう大丈夫だな」と安全派に乗り替えました。
リスク評価は、そのときどきで判断する材料が変わるので、一度出した結論に固執しすぎない方がいいです。信頼できる情報が新たに入ったときには、立場をさっと切り替えられる人の方が、リスクを正しく評価できます。