「生き物を育てるのは想像以上に大変でした。今年出荷できましたけど、まだまだ実験段階のところがあるので、ホンマこれからです。近い将来、『天川村なら珍しいもん食べられるから行ってみよう』って人がたくさん来てくれたらいいなって、赤字覚悟でやってますね」
天川村で下西の存在を知らぬ者はいない。2018年にトラフグの養殖の責任者となってから、村民から「村の未来を託す存在」と呼ばれるようになった。
天川村の住民の思いを一身に受け、トラフグの養殖を成功させた下西。トラフグという高級魚を、いったいどうやって育ててきたのだろうか? 彼とフグの、「紆余曲折の道のり」を聞いた――。
本当はスーパーに就職するはずだった
2017年の冬、岡山理科大学で水質を学んでいた大学4年生の下西は、就職活動を終え、研究室の後輩への引き継ぎに追われていた。卒業間近のある日、研究室の山本俊政准教授から連絡が入る。
「奈良県天川村の役場の人が視察にくるんだけど、会ってみない?」
天川村は、大峰山や洞川温泉などの観光資源が多い自然豊かなところだ。地元の五條市が近かったこともあり、下西は二つ返事で会うことを決めた。
そこで出会ったのが、天川村役場の現課長である弓場儀一郎氏だった。弓場課長は肌が色黒く、ややこわもてな顔つきだったので、下西は一瞬たじろいだという。「役場じゃなくて、ヤクザの人かなって(笑)」と、初対面の印象を振り返る。
少し言葉を交わしたあと、弓場課長から「よかったら卒業後、うちでフグの陸上養殖をしない?」と誘いを受ける。
(えっ……天川村でフグの養殖?)
と、「山×フグ」というアイデアに下西は驚いた。
この提案の背景には、村の観光業の衰退があった。
天川村は、夏場は避暑地としてレジャー客で賑わうが、冬場は寒さが厳しく観光客が激減する。弓場課長と当時の村長らは、「冬場の目玉となるような特産品をつくれば、観光客を呼び込めるのでは?」と考え、冬に最盛期を迎える「フグ」に着目。トラフグの陸上養殖に白羽の矢を立てたのだ。
弓場課長は、フグを育てるための人工海水について相談するため山本准教授のもとを訪れており、「可能なら協力してくれる人を見つけたい」と思っていた。
突然の申し出に戸惑ったが、子どもの頃から海水魚を飼うことに憧れていた下西にとっては、願ってもないチャンスだった。