地方移住と勤務日数半減でも副業で収入をキープ

酒田市では、現地の観光団体などと組みながら庄内地方の情報発信や物産品の商品開発や宣伝などを実施する「観光大使」のような仕事に従事する。地元の高校生を対象とするビジネスコンテストの司会や、そのコンテストの参加者がアイデアを考える際のサポートをすることもあるし、地元の酒蔵の新商品開発を支援することもある。

収入は、生活コストの安さなどを考慮すればコロナ禍前と比べさほど遜色がない水準にあるという。「東京に住んでいた頃と通勤時間はそれほど変わらないし、ワークライフバランスが取りやすくなった」と話す坂本は、「副業を通じて、社会人として足りていなかった経験をしたり、客室乗務員の仕事で培った強みを再認識したりできている」という。

副業の「雇用主」であるANAあきんどとしてもメリットは多い。

同社はANAグループの航空事業に偏った収益構造を改善すべく、就航地を中心とした地方の創生をビジネスにつなげようとしている。庄内路線はANAの単独就航なだけに、もともと地元との信頼関係は深い。その地元でのANAのプレゼンスをさらに高める役割の一部を副業社員が担っているわけだ。

副業の一環で地元ラジオに出演したときの坂本さん
写真=筆者提供
副業の一環で地元ラジオに出演したときの坂本さん

ANAあきんどの庄内支店長、前田誠は「客室乗務員の仕事のメインはあくまで機内の保安業務。ただ、地元の様々なステークホルダーとのつながりを深める部分に貢献できる人材もたくさんいる。その人たちの能力をグループ全体で活用していきたい」と話す。

子育てのために地方移住を選んだ国際線の客室乗務員

「フライトも子育ても副業もバランス良くできるようになった」。こう話すのは客室乗務員の岩橋真弓だ。

12年に第1子、17年に第2子を出産した岩橋は、子育てと仕事を両立すべく、出勤日数を従来の5割程度に抑える短日数勤務を第2子の育児休暇明けから始めた。

第1子出産後はフルタイムで職場復帰したが、国際線勤務のため月の半分は家を空けていた。子どもや夫、当時近くに住んでいた義父母に負担をかけているという後ろめたさがあったという。その後、夫は名古屋に単身赴任。岩橋は義父母と同居して何とか仕事と子育てを両立させてきた。ただ、第2子の出産後、「いくら義父母の助けがあるとはいえ、フルタイムで働きながら2人の子育てをするのは難しい」と感じ、短日数勤務を選んだ。

そんな中でコロナ禍が起き、ANAは客室乗務員の居住地の自由を認める。夫と一緒に住みながら子育てできるのが望ましいと考えていた岩橋は、短日数勤務と同程度の勤務を続けながら拠点を移すことを決断した。引っ越し先は、夫の勤務地に近く、岩橋の出身地でもある岐阜県だ。

実は義父の出身地も岐阜だ。そして、義母は「団塊世代で女性は働きたくても働きにくい状況だった、今やりがいある仕事ができているなら応援したい」と岩橋の仕事に理解を示してくれている。そこで義父母も岐阜に引っ越すことになり、義父母の支援も受けながら夫婦2人で子育てできるようになった。岩橋の両親とも家が近くなり、不測の事態に対応しやすい。