怒りの感情を平然と受け流せる人は何が違うのか。『ぶれない心をつくる ポケット空海 道を照らす言葉』から、自分の感情をうまくコントロールする教えを紹介する――。

※本稿は、名取芳彦監修『ぶれない心をつくる ポケット空海 道を照らす言葉』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。

彼女の腕を横切るアジアの女性。
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自分も他人も同じと見れば怒りは湧いてこなくなる

衆生しゆじようること己身こしんのごとし、
故にあえ前人ぜんにん嗔恚しんいせず
――『三昧耶戒序』

人間にとって、もっともやっかいな煩悩ぼんのうのひとつが怒り(嗔恚)です。

なぜなら、怒りという感情は、自分の外側に向かっていく傾向があり、時には、他者への暴力的な言葉や行動につながることがあるからです。

それだけではありません。一度燃え上がった怒りが収まらず、自分自身の心を焼き尽くすことさえあります。いずれにしろ、怒りは負の連鎖を生む「害悪製造機」といっていいでしょう。

怒りへの対処法について、空海はこう述べています。

世の中のすべての人を自分だと思って見なさい。そうすれば、相手に怒りをぶつけることはない、と。

日常生活の中で礼儀知らずな人に出会ったり、攻撃されたりすると、つい怒りが湧いてしまうものですが、そんな時は、この言葉を思い出しましょう。すると、「こんなことでイラッとする自分も、相手と似たようなものだ」「自分が相手の立場なら当然かもしれない」と思えてくるでしょう。

怒りをつくり出しているのは、自分の心

「そうは思えない、自分を怒らせる人が悪い」「誰だってあんなひどいことをされれば怒るはずだ」と憤る人もいるでしょうが、果たしてそうでしょうか。

クレーマーになる人とそうでない人がいるように、同じ行動をとられた時に激怒する人がいる一方で、平然と受け流せる人もいるものです。

つまり、怒りとは自分自身の心がつくり出しているものなのです。

怒りの根本をひもといてみると、そこには「思い通りにならない苦しみ」があります。結局、自分の都合通りにならないから、人は怒りに振り回されるのです。

自分自身の心を省みて、その「都合」が正当なものかを考え、感情をコントロールする方法を学ぶのが仏教の教えです。そして、感情をコントロールするためには、まず、相手を自分だと思って見ることが有効なのです。

そうやって見てみると、相手の「都合」が理解できます。また、相手から見た自分の「都合」もわかります。その時はもう、相手に怒りをぶつける気にはなれないでしょう。

イライラを上手に抑えていくことが大切

人間の煩悩には大きく分けて、「とんじん」の三つがあると、仏教では考えます。貪欲(貪り)、嗔恚(怒り・憎しみ)、愚痴(迷い・愚かさ)の「三毒」です。この三毒から脱するために、さまざまなアプローチや修行がありますが、どんなに修行を積んでも、生きている限り三毒は生まれ続けます。三毒を否定するのではなく、上手に抑えていくことが大切です。