※本稿は、橘玲『バカと無知』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
こころの痛みも身体の痛みも脳は同じ痛みと判断する
真っ暗な部屋のなかで赤、青、黄色のランプがときどき光る。あなたの前に3つのボタンがあり、赤は右、青は左、黄色は真ん中を押す。脳の気持ちになってみるなら(なりたくないだろうが)、1日24時間、こんな退屈なことばかり繰り返している。
この作業では、なぜ赤のランプが光ったのかを考える必要はない。家族の死のような悲劇に見舞われたのかもしれないし、たんに水が冷たかっただけかもしれないが、理由の如何にかかわらず自動的に右のボタンを押すだけだ。
心理学者は、こころと身体がつながっていることにずいぶん前から気づいていた。
親から叱られて泣きさけぶ子どもは、転んで怪我をして泣く子どもと(脳のレベルでは)同じ経験をしているのではないか。この疑問は1970年代に、生後まもないサルに強力な鎮痛作用のあるモルヒネを投与する実験で確かめられた。痛みを感じなくなった子ザルは、母ザルから引き離されても泣かなくなったのだ。
痛みは生存にとってきわめて重要な情報なので、さまざまなルートで脳に伝えられる。
皮膚や軟部組織にはいたるところに痛みのセンサーとなる侵害受容器があり、圧力や温度などが一定のレベルを超えると脳に信号を送って、それが痛みとして知覚される。だがそれ以外にも、視覚(強烈な光)や聴覚(爆音)など他の感覚器官も痛みの信号を送っている。だとしたら、社会的な危機(子ザルにとっては母親から引き離されることは重大な生存への脅威だ)で脳に痛みの信号を送るのは理にかなっている。
最新の実験結果でわかったこと
このことは2003年に、サイバーボールというコンピュータゲームを使った実験で、脳科学のレベルで確かめられた。
脳画像撮影装置に入った被験者は、他の2人とディスプレイ上で仮想のキャッチボールをする。だがしばらくすると、2人は被験者を除け者にして自分たちだけでボールを回すようになる。
じつはこれはコンピュータのプログラムなのだが、被験者は理由もなく仲間外れにされたように感じる。このときの脳の様子を観察すると、身体的な痛みと関係している部位(背側前帯状皮質と前島)の活動が高まっていた。
次いで研究者は、被験者に面接を受けさせ、評価者のさまざまなコメントを伝えた。このとき「つまらない」など批判的なコメントを聞いた被験者の脳は、やはり身体的な痛みを感じる部位の活動が高まった。
仲間外れにされたり、他者から批判されることと、殴られたり蹴られたりすることを、脳はうまく区別できないらしい。いずれの場合も、脳内では同じ赤のランプが光るのだ。