なぜ全国展開をあきらめたのか

野並社長はそこから営業店舗などの事業責任者、そして経営幹部となり、今年5月に社長となった。

崎陽軒の本社ビル
横浜駅前にある崎陽軒本社(撮影=プレジデントオンライン編集部)

交代を機に社内改革を進めるトップもいるが、野並社長は違う。守るべきものは守り、必要であれば変えるというスタンスである。冒頭に触れたシウマイ弁当もそうだ。わざわざ変えようと思ったわけではなく、変えざるを得なかったにすぎない。

崎陽軒が掲げる「真に優れたローカルブランドをめざします」という経営理念についても、基本的に守り続けるべきだとする。崎陽軒は、地元に根差したローカルブランドに徹することがナショナルブランドをも超える存在になるとして、販路を首都圏に絞っている。

これには過去の苦い経験がある。かつて全国の小売・流通でシウマイを販売していたことがあった。ただ、それによって、横浜名物であることの強みが失われ、ブランド価値を毀損きそんしてしまったのだ。現会長のトップダウンによってそうした販売手法をやめ、それ以来、基本的には神奈川と東京を中心とした首都圏でしか崎陽軒の商品は販売していない。

売り上げが大事だと思っていた過去の反省

実は当時、野並社長は営業担当役員だった。事業売り上げを預かる立場として、「これだけの売り上げが一気になくなります。それでも本当にやるのですか?」と会長の判断に意見した。

ただ、親子とは言っても組織である以上、経営トップの判断がすべて。最終的にはそれに従った。結果的に、この方針転換は功を奏して、崎陽軒はローカルブランドの地位を強固にした。野並社長はこの一件から何を学んだか。

「リアルな数字のエビデンスと、経営感覚はどちらも大事です。ただ、それ以上に目先のことではなく、物事を長い目で見ることが大切だと思いました。もし日本中でシウマイ弁当を販売すれば、この1、2年は過去最高の売り上げになると思います。でも、それを横浜市民の方々にご理解いただけるかというと、到底受け入れられないでしょう」

だから、そうした選択をすることはないし、これからもローカルブランドを守り抜く姿勢は変わらないという。

崎陽軒の野並晃社長
撮影=プレジデントオンライン編集部
目先のことではなく、物事を長い目で見ることが大切だと力強く語ってくれた。

「お前、ベンツには乗るなよ」

変化を拒んでいるのではなく、単に無駄なことはしたくないというのが、野並社長のスタイルである。以前こんなことがあったと明かす。

日本青年会議所(JCI日本)の会頭を務めていた時に、もっとトップらしくしなさいと周囲からアドバイスされた。わかりやすく言えば、高級ブランドのバッグなどを使いなさいという話だった。しかし、野並社長はそうするべきだとは思わなかった。