残された選択肢は3つ。(1)シウマイ弁当を販売しない、(2)販売数量を減らす、(3)おかずを変える、である。

崎陽軒の野並晃社長
崎陽軒は横浜市民からシウマイなどの製造を委託されている会社だと語る野並社長。(撮影=プレジデントオンライン編集部)

結論から言えば、前の2つはすぐに消えて、おかずの変更に決まった。では、マグロに代わる魚は何にすればいいのだろう。いろいろな案が出たが、最終的に野並社長のところへ上がってきたのは「鮭の塩焼き」の一択だった。

「基本的にはマグロと同じ品質、サイズでなければいけません。弁当の売価も変えられないし、仕入れ在庫も十分なものとなれば、ほかに選択肢はありませんでした」

今年8月、ついに供給の限界を迎え、苦渋の決断を下した。しかし、不幸中の幸いで、収益面では数字を落とすどころか、むしろ欠品が出るほど売れに売れた。

こうした不測の事態は常に起こり得ること。今回はうまくしのいだが、今後はどう対処していくのだろうか。

「崎陽軒が大事にするべきなのは、シウマイ弁当の中身を何十年も守り続けるのではなく、お客さまに何十年もご愛顧いただくこと。シウマイ弁当を絶対に変えないと決めてしまうと、一つのおかずの原材料が跳ね上がったときに困りますよね。例えば、2000円でなければシウマイ弁当は売れませんとなったら、誰も買わないでしょう。そうではなく、お客さまのために価格を抑えるなら、中身を変えてもいいと思います」

横浜市民に受け入れられるかどうか

野並社長がこう考える背景には、崎陽軒は横浜市民に支えられているという思いがある。

「シウマイやシウマイ弁当は横浜市民のもの。崎陽軒は、その製造と販売を委託していただいている会社だと思っています。市民が応援してくれる形であれば変えるし、逆に、市民が駄目だと思うような変え方はしてはいけません」

あくまでも地元の人々を中心に据える。従って、変えることは悪ではなく、何をどう変えるのかが重要になる。崎陽軒の社長は横浜の文化や伝統を守っていかなければいけないのだという。

創業から114年。初代社長の野並茂吉氏から数えること4代目の野並社長は、なぜそうした経営哲学を身に付けたのだろうか。

弁当工場で怒られた日々

父であり、現会長の直文氏から31年ぶりに崎陽軒社長のバトンを受け継いだ野並社長は、中学から大学までサッカー部で汗を流した体育会系ビジネスパーソンである。インタビューでも大きな声でハキハキと話す姿が印象的だった。