なぜ日本経済は「失われた30年」と呼ばれる状態に陥ったのか。憲政史家の倉山満さんは「安倍政権による『アベノミクス』は当初うまくいっていた。ところがさまざまな圧力に耐えきれず、消費税を8%に引き上げてしまった。これでアベノミクスは腰砕けになってしまった」という――。

※本稿は、倉山満『沈鬱の平成政治史 なぜ日本人は報われないのか?』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

参議院予算委員会の開会前に言葉を交わす安倍晋三首相(右)と黒田東彦日銀総裁=2013年5月8日、東京・国会内
写真=時事通信フォト
参議院予算委員会の開会前に言葉を交わす安倍晋三首相(右)と黒田東彦日銀総裁=2013年5月8日、東京・国会内

アベノミクスを腰砕けにしたのは誰か

2012年12月26日、野田内閣が総辞職すると、第2次安倍内閣が発足します。安倍は首相就任後の記者会見で「まず強い経済を取り戻す」と掲げました。

実は、この時点ではまだ看板をようやく掲げただけです。衆院選の大勝と株価の上昇で、安倍を応援するネット世論は熱狂の渦でしたが、参議院がねじれたままなのです。

ねじれ国会の悪夢が再来すれば、せっかく政権を取り戻しても、何もできません。翌年夏の参院選で勝つためには、景気を回復して支持率を上げる必要がありました。障害は日銀総裁の白川方明です。

何を察知したのか白川は衆院選のわずか2日後、自民党総裁室に安倍を訪ねました。まだ正式には総理に就任する前のタイミングです。そのうえで、安倍内閣発足から最初の日銀政策決定会合となった平成25(2013)年1月22日、「平成26年に10兆円緩和」との決定を行います。

マスコミは、さも日銀が安倍の意を酌んだかのように書き立てますが、安倍は激怒します。白川は安倍に首を垂れたフリをしながら、「1年間は何もしない」と宣言したからです。緩和目標の数字も、冷え切った日本経済をもう一度成長させるには全く足りません。

2月5日、安倍は白川の辞表を取り上げます。安倍と首相官邸で会談した後、白川自身が記者会見で辞意を表明しました。4月8日の総裁任期満了を待たず、3月の副総裁任期満了に合わせた前倒しの辞任です。

黒田・日銀総裁の誕生

財務省は、後任総裁人事で武藤敏郎元財務事務次官を推しますが、安倍は同じ財務省でもリフレ政策に理解のある黒田東彦を総裁に就けることに成功します。

最初は、平成初頭から長年リフレ政策を説いてきた岩田規久男を総裁に就けたかったのですが、麻生太郎に阻止されました。「組織運営の経験がない人はダメだ」が反対理由です(清水真人『財務省と政治』中公新書、2015年 241頁)。