日本を代表する大企業・東芝の混迷が続いている。どこに問題があるのか。3月に就任した島田太郎社長は「経営判断が一部の事業部門の論理に偏った結果、グループ全体の最適解となっていなかったのではないか。この一因は、経営者を育成するための仕組みが欠けていることにある。これは、東芝だけでなく、日本の大企業の多くに当てはまることではないだろうか」という――。(後編/全2回)
東芝島田社長
撮影=遠藤素子

東芝はなぜ混迷したのか

――なぜ東芝の経営はこれまで迷走してきたのでしょうか。

東芝社員の99.9%は本当にいい人たちなんです。言われたことを真面目に、その通りにやろうと努力します。だからこそ、今回は、一部の強い声に引っ張られてしまったのではないかと思っています。

東芝グループ自体の理念はひとつです。しかし、基本は小さな会社の集まりで、各社の責任で自由に事業を展開しています。それがいいところでもあるのですが、こと経営となると話は変わってきます。

これは東芝だけでなく、日本の大企業の多くに当てはまることだと思うのですが、こうした会社に30年、40年といた人が、グループ全体の経営陣に入ったりすると、急に責任が重くなって一歩も動けなくなったり、全体のビジョンが分からないために、自分の知っている領域だけで突き進んでいってしまったり、ということが起こります。

ここには、多くの大企業に共通する課題があります。それは、トップをつくるための仕組みが欠けているということです。

トップに大事なのは能力ではなく経験です。僕が前にいたシーメンスという会社はこの仕組みが非常によくできていて、優秀な人には若手の頃から色々な事業、色々な部署を経験させていました。そうやって会社がトップをつくっていたのです。

経営トップに必要なのは“頭の良さ”ではない

――経営者に必要な資質とはなんでしょうか。

「心の平静を保つ力」だと思います。経営者は、例えれば高所を歩く鳶職のようなものです。地面から10mも上の場所に立てば、普通の人は怖くて足が前に出なくなるでしょう。いわゆる高所恐怖症ですね。経営者も同じで、自分の行動に社員何十万人もの生活がかかっていると思うと、必要な一歩がなかなか踏み出せなくなるのです。

皆さん、企業に関する報道を見て「何でこの社長は行動しないのかな」と思ったことがあるのではないでしょうか。僕が思うに経営はコモンセンスで、皆が「こうだ」と思うことは大抵正しい。数字を見れば、どの事業の状態が良くないかはわかります。では、なぜ適切な経営判断を下せないのかといえば、それは怖いからです。

ただ、この高所恐怖症は治すことができるんですね。いきなりは無理でも、足元を1日1メートルずつ高くしていけば次第に慣れていって、やがて東京タワーの鉄骨でも平静に歩けるようになります。

つまり、経営者に必要なのは、高所を歩く鳶職のように、どんな場面でも心を平静に保てる力なのです。それは頭の良さではなく、経験によって培われるものですし、僕としては日々の精神修養も重要だと思っています。

日本の大企業が「リーダー不在」と言われるのは、こうした経験の積み重ねができないままに社長になってしまうからではないでしょうか。