自分の行いは正しいと思い込むようにできている
人類には、奴隷制度という負の歴史がある。この制度下では、人が人として扱われなかった。最低限の人権すら無視された状態である。しかし、当時、虐げられていた人たちは自分が置かれた状況を当然のこと、普通のこととして受け入れていたケースも多いという。
虐げていた側はもちろん、虐げられていた側も受け入れる以外に生き延びる道がない以上、その考えを拒むとすると、精神的苦痛を伴う。そのため、矛盾が生じないよう「自分がやってきたことが正しい」と思い込もうとする。
これは、心理学でいう「認知的不協和」の解消である。「認知的不協和」はアメリカの心理学者のレオン・フェスティンガーの提唱した理論で、自己弁護のための無意識の心理である。
この理論を簡単に説明すると、人は自分の行動と心とのギャップや矛盾を解消するために、無理矢理にでも自分自身に納得のいく理由をつけるということである。
つまり、人間は基本的に、今までやってきたことが正しいと思い込むようにできている。あるいは、正しくないという指摘を受けると、それに対する反論をするようにできている。
こうした奴隷制度における差別は、人種差別とも関連する。
生まれながらの髪の色や肌の色は、本人が選んだものではない。それによって人権が制限されることなど、現代のわれわれの感覚では到底受け入れることはできない。しかし、当時はそれが当たり前のこととして、人々に受け入れられたのである。
当たり前になることで、差別されていること自体がわからなくなる。先にも挙げたが、善男善女も差別されている方も、それに気付かない状態になる。その当たり前の状態に対して「おかしい」と反対の声を上げる人たちがいたからこそ、変わってきたという歴史がある。