教育機関で人の身体的特徴を「序列」していいのか
子供たちは、幼い頃から、学校で「常識」を身に付ける。学校の常識を身に付け、大人になり社会を形成し、子供を産み育てる。学校教育は、そのループの根本を握っている重要な存在である。
学校で、幼い頃から意味もわからず、やたらと背の順に並ばされるという「不合理」に慣らされる。
背の順はその一例に過ぎないが、子供たちは数々の「不合理」(厳しすぎる校則など)に慣らされていく。すると、次第に「なぜこれをするのか?」「これはおかしいのではないか?」と考えなくなる。これは、少なくとも人を育てる教育機関たる学校がしていいことではない。
学校が変だと感じている、あるいは嫌いだったという人は大人の中にも一定数いる。そうした感覚は、おそらく正しい。しかし、自身の過去への否定は無意識的に拒絶を生むため、受け入れがたい。だから、そこについては、考えないようにしたいのである。「寝た子を起こすな」とは、そういうことである。
しかし、筆者は起こす。雪山の遭難時ではないが「寝たら危ないぞ!」と揺り動かして頬を叩いてでも起こすつもりである。