自分にしか提供できないことを見つけるまで

Qあなたの要約には「自分をプロダクト化せよ」とありますね――どういう意味ですか?

「自分」と「プロダクト化」の要素があるということだ。

「自分」は独自性を表している。「プロダクト化」はレバレッジを表している。

「自分」は説明責任を表している。「プロダクト化」は特殊知識を表している。「自分」も特殊知識を表している。

つまり一連の全ツイートが、この2語に集約できるんだ。

もしも君が「富を得る」という目的を長期的にめざすなら、「今やっていることは自分らしいのか? 自分らしさを発揮しているか?」と考えなくてはならない。

それから、「プロダクト化しているか? スケール[規模を拡大]しているか? プロダクト化の手段はヒトか、カネか、コードか、メディアか?」と考えなくてはならない。

「自分」を「プロダクト化」する――これが簡単便利な記憶法になるわけだ[※1]

簡単なことじゃない。だから何十年もかかると言った――実行するのに何十年もかかるとは言わないが、自分にしか提供できないことを見つけるまでに、10年近くかかるかもしれない[※4]

1つだけではなく、スケールさせる

Q富とお金の違いは何ですか?

お金は富を人から人へ移すための手段だ。お金は社会への「貸し」だ。他人の時間を貸し借りする手段だ。

君が君にしかできないことをやって、社会のために価値を生み出せば、社会はこう言うだろう。「おお、ありがとう。君が過去にこれをやってくれたから、君に未来の借りができた。ほら、借用証書を受け取ってくれ。これをお金と名づけよう」[※1]

君が欲しいのは、富だ。富とは、寝ている間も稼いでくれる資産だ。モノを量産する工場やロボットは、富だ。夜間に稼働して顧客にサービスを提供するコンピュータプログラムは、富だ。他の資産や他の企業に再投資される銀行預金も、富だ。

家も、賃貸に出せるという点で富の一種だね。ただ、営利事業に比べると土地の生産効率は低いだろう。

つまり私の言う「富」は、寝ている間も稼いでくれる事業や資産の意味に近い[※1]

テクノロジーは消費を民主化する一方、生産を集約化する。何かを世界一うまくやれる人が、その生産を一手に引き受ける。

君が社会の求めるものを生み出せば、社会は君に見返りを与えてくれる。そして、社会はそれを生み出す方法をまだ知らない。もしも社会がそれを知っていれば、君は用済みになるからだ。君はとうにお払い箱になっているはずだ。

家や職場、それに街にあるほとんどのものは、かつてある時期に「テクノロジー」だった。

かつて石油は、J・D・ロックフェラーを富豪にしたテクノロジーだった。かつて自動車は、ヘンリー・フォードを富豪にしたテクノロジーだった。

つまりテクノロジーとは、発明家のアラン・ケイ[訂正:ダニー・ヒリス]が言ったように、「まだ完全には機能していないもの」なんだ。いったん機能するようになれば、もうそれはテクノロジーではなくなる。

社会はいつでも新しいものを求めている。だから君が富を得たいなら、社会が求めているがどうやって手に入れるかがまだわかっていないものの中で、君にとって自然にできること、君のスキルセットを使ってできること、君の能力を使ってできることを見つけなくてはならない。

次に、スケールする方法を考えよう。1つだけつくってもダメだ。誰もが持てるように、数千、数十万、数百万、数億個つくらなくてはならない。

スティーヴ・ジョブズ(とチームだ、もちろん)は、社会がスマートフォンを欲しがると考えた。電話に数百の機能を加えた、使いやすいポケットコンピュータだ。そこでそれをつくる方法を考案し、次にそれをスケールする方法を考え出した[※1]