妊娠、出産を経て仕事に復帰できるかどうかは、芸術家にとっても大きな課題だ。「新聞紙のドローイング」の作者・金沢寿美さんは、出産後に外で活動しづらくなったことで本格的に始めた新しい表現方法で、現代芸術振興財団「CAFAA賞2020-2021」グランプリを獲得した。どんな思いで新聞を塗りつぶしていったのだろうか――。

子どもが寝た後、深夜に創作活動を行う

——「新聞紙のドローイング」は、金沢さんが鉛筆で塗りつぶしていった新聞紙をつなげた作品で、塗り残した箇所の写真や文字が浮かび上がり、まるで銀河や星空のようにも見えますね。よく見ると、コロナウイルスのCGイラストが残してあったり、「五輪観戦に陰性証明」「ウクライナ侵攻」などの見出し文字が見え隠れしたりします。制作はどのように行っているのですか?

【金沢寿美さん(以下、金沢)】子どもが寝た後の夜10時から午前3時ぐらいまで作業し、10Bの鉛筆で新聞紙見開きひとつを塗りつぶすのに3日から5日ほどをかけています。気になる言葉やイメージを残してみたり、「今日はとにかく黒くしたいな」と思うときはほぼ一面を塗りつぶしたり……。

出産を機に本格的に新聞ドローイングの制作をスタートさせたと話すアーティストの金沢寿美さん(撮影=強田美央)
出産を機に本格的に新聞ドローイングの制作をスタートさせたと話すアーティストの金沢寿美さん(撮影=強田美央)

皆さんも、新聞を読んだときに印象に残る記事があると思うのですが、それをゆっくり読むように消していきます。「五輪」「コロナ」のように誰もが知る大きな出来事以外に投稿欄で見かけるような個人の小さな声やつぶやきが目に留まることもあります。他にも全く関係のない広告の言葉が自身の心境とリンクすることもあったり。紙面に浮かぶ言葉を使って言葉遊びをしてみることも。そんな中、たまに塗りつぶさないスペースを作ることで、自分で言うのも恥ずかしいですけど、その部分が星のように見えてくるんですね。新聞ですから、数日後には消えていってしまうような言葉やイメージに小さな光を当てながら、鉛筆をひたすら動かし、静かな時間を楽しんでいます。

——森美術館の展覧会「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」(11月6日まで)の展示では約300枚もの新聞紙がつなげられ、カーテンのように吊り下げられていて強いインパクトを与えます。制作はいつから始めましたか?

【金沢】なんとなく始めたのは2008年ごろでしたが、具体的な展示に向けて本格的に取り組み始めたのは、出産してから。2016年ごろからです。妊娠中や産後って家にこもって“ひとり自粛”に入るじゃないですか。その中で、鉛筆と新聞紙でできる作品、つまり自宅でもできる作品を始めてみようということで、本格的に「新聞紙のドローイング」に着手しました。

塗りつぶさなかったイラストや文字が浮き上がって見える。金沢寿美《新聞紙のドローイング》(部分)2022 年(撮影=強田美央)
塗りつぶさなかったイラストや文字が浮き上がって見える。金沢寿美《新聞紙のドローイング》(部分)2022 年(撮影=強田美央)

それまで私は芸術学部の大学院を修了した後、どこのギャラリーにも所属せず、自分のルーツである韓国へ行ったり、国内外各地のアートプロジェクトなどに参加したりしながら活動を続けてきたのですが、赤ちゃんがいると、いろんなところに出かけて行ってそこで数カ月制作して帰ってくるということができなくなりました。結婚したパートナーは創作についてとても理解のある人ですが、やっぱり子どもの存在というのは勝手が違いましたね。