自分の口からではなく第三者に言わせることで説得力を増す
ところがその後、会議は勝家が思いもしなかった方向へと転びます。事前に秀吉と示し合わせていた長秀が、秀吉が書いたシナリオ通りに、あくまでも中立の立場を装いつつ、
「上様のご無念を晴らしたのは秀吉である。その顔を立ててやるべきではあるまいか」
と発言したからです。
部屋の空気は一変します。膠着状態にあった交渉は、秀吉側有利に一気に傾きました。
繰り返しますが、もし秀吉自身が、
「上様のご無念を晴らした功労者は、この私である。しからば私の顔を立てるべきではありませんか」
などと、発言をおこなったとしたならば、間違いなく相当な反感を招いたはずです。
第三者に言わせてこそ、意味を持つ内容なのです。中立派の長秀を取り込んでおいたことが、ここで効果を発揮したわけです。
勝家は、沈黙せざるを得なくなりました。
「秀吉はすぐに中国地方から引き返して光秀を討ったのに、そなたは遅れたではないか」
と言われれば、返す言葉がなかったからです。
「上様のご無念を晴らしたのは誰か」を出されては文句が言えない
勝家の名誉のために述べておきますが、本能寺の変が起きた後、勝家はただ手をこまねいていたわけではありません。当時、勝家は北陸方面軍の司令官として、上杉軍と対峙していました。史料によると、光秀謀叛の報を聞いた勝家は、軍議の場で、
「光秀はいつでも討てる。今はそれぞれの方面軍が、各所で敵と戦っている。まずは目の前の敵を倒すことが大切で、光秀を討つのはその後でよい」
と、発言したということです。
つまり、勝家は勝家なりに状況を俯瞰したうえで、「光秀討伐は後にする」と判断したのです。けっして、すぐさま行こうと思ったが、準備に手間取り遅れたわけではありませんでした。
けれども、「どちらが先に、上様のご無念を晴らしたか」というロジックを持ち出されて、秀吉と比べられれば、勝家に勝ち目はありませんでした。
本来は、「秀吉が勝家よりも先に光秀を討ったこと」と「織田家の跡目を誰にするか」は、まったく別の話なのですが、「ここは秀吉の顔を立ててあげてもいいのでは」と第三者に言われれば、何となく「確かにそうだな」と周りの人々を頷かせてしまうだけの説得力はあります。
長秀が、絶対に勝家には勝てないロジックを繰り出したことも、秀吉がこの交渉に勝利した要因の一つでした。